映画はトラウマを描きうるか? 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
映像が映し出せるのは物質だけだ。なぜならカメラは心の中には入れないのだから。
でも映画はその歴史の中で絶えず登場人物の心情を表現しようと、様々な手練手管を編み出してきた。役者の顔を大写しにすることで感情を読み取らせるクローズアップはまさに映画による心情表現の代表例だ。
映画は心を映せないというコンプレックスを抱いているからこそ、独自の発展をしてきたと言ってもいいのかもしれない。
そして今日紹介する「マンチェスター・バイ・ザ・シー」も心に傷を負った孤独な男の内面に迫ろうと試みた文学的作品だ。
目次
あらすじ
マサチューセッツ州に属する港町マンチェスター。人口5000余の昔気質なこの町に、一人の男が葬儀のために帰郷してくるところから映画は始まる。
男の名はリー、彼の兄は数年前から心臓に疾患を抱えており余命の宣告を受けていた。兄の死も束の間、リーは遺言により兄の息子パトリックの後見人に推薦される。
しかしリーにとってマンチェスターはいるだけで辛い場所だった。リーにはトラウマがある、そしてこの町は彼にトラウマを思い起こさせる。
重なる人生の苦難を前にリーは如何に生きるのか……。
主演ケイシー・アフレックの抜擢
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のプロデューサーはマット・デイモンですが、元々マットは「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」の時よろしく、本作を自身が監督主演共に務める予定でした。
しかし脚本を依頼したケネス・ロナーガンの書いたホンが傑作だったことや、マット自身のスケジュールの多忙さが重なり、マットは本作の監督をロナーガンに託しました。
そして主演は「グッド・ウィル」以来のパートナーであるアフレック兄弟の弟ケイシー・アフレックをキャスティングし、本作の撮影はスタートしました。
そんなわけでケイシー・アフレックは替え玉のような形で主演に抜擢されたのですが、これが実にケイシーにとってのハマり役でして、見事本作でアカデミー主演男優賞を受賞する運びとなりました。
ケイシーのどこがハマり役かといえば、やはり彼の持つどこかナイーブな雰囲気が本作の主人公リーとぴったり重なるんですね。
ケイシーってお兄ちゃんのベン・アフレックとホントに顔がそっくりなんですけど、並んでみるとケイシーの方が背が低くて小柄なんですね(いやベンがデカいんですけど)。で、闇夜に紛れて悪と戦ったり、はたまたギャングになったり、嫁さんに逃げられたりする役をやったりと売れまくりなベンに比べてケイシーはそこまで有名な役者ではない。
アフレック兄弟は仲がいいことで有名みたいですけど、やっぱりケイシーのほうはベンにそれなりのコンプレックスというか、劣等感じみたものを感じていたのではないでしょうか。
そしてそのためにケイシーは本作のセンチメンタルな役柄を演じるに相応しい役者たりえたのでないか、というのが私の推測です。
狂気に陥らない絶望
絶望をテーマにした作品は映画に限らず漫画からアニメまで無数に存在していますが、ありがちなのは「登場人物がショックのあまり精神に異常をきたし狂気に陥る」みたいな作品です。
いや発狂するのは大いに結構というか、頭がイっちゃってる人が主人公の映画も「タクシードライバー」みたいな名作がありますよ確かに。
でも現実の人間って、とてつもないショックや精神的外傷を負ってもそう簡単に狂気に陥ったりしないじゃないですか。世の中心に傷のある人はたくさんいても、トラヴィスのように銃乱射事件なんか起こす人はずっと少ない。
ぼくら現代人は誰しもが多かれ少なかれトラウマを抱えて生きてます。でもそのトラウマは今すぐになんとかしないと生きていけないってほどでもない。かといって放置しても大丈夫かといえば、そうじゃない。
現代人の悩みやトラウマというのは、そんな顔にできたニキビみたいなものなんですね。
そして「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の主人公はニキビみたいなトラウマの中でも最大級のものを抱えてるわけです。
苦痛と義務で板ばさみになるリーは見ていてこちらも辛くなります。
そうなんだよ! 人生ってやりたくないけどやらなきゃいけないことばっかりなんだよ!
気まずいシチュエーションのオンパレード
導入でこの映画を「文学的」と評しましたがその理由のひとつに、本作がやたらとあるあるネタを仕込んでくることが挙げられます。しかも笑えるタイプのあるあるじゃなくて、「あ~……あるね……あるある……」みたいな自分の嫌な体験を思い出してしまうようなあるあるネタ。
2人で喋っている時に何気なく発した一言を、相手が全く逆の意味に受け取っていて気まずい雰囲気になるシーン(笑えないアンジャッシュ)。エレベーターで医者と二人っきりになるシーン。朝ごはん食べてたら息子が昨夜連れ込んだ彼女と一緒にやってきて気まずいシーン。彼女の実家でエッチしようとしたら彼女の母がいきなり部屋に入ってきて「あっ!待って!」的展開になるシーン。etc.etc........。
とにかくこの映画、人生における気まずいシチュエーションが二時間余の中にぎっしり詰め込んであります。
ちなみに気まずさとは離れるんですが細かい描写で私が一番グッときたのは、宅配ピザを頼むやり取りがあるカットの十数分後のシーンで、冷蔵庫からその時のピザの残りらしきものを取り出して食べるカット。映画の本筋には全然関係ないんですけど、「ああこれはあの時の残り物なんだな」ってしみじみ感じてしまって。
感想とあとがき
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、私個人としては世間で評価されているほど楽しめなかったというのが正直な感想なのですが、やはりクオリティは評価に相応しいものに仕上がっているかと思います。
この映画、10年後にもう一回見たい作品ですね。年食ったら絶対見方変わりますよ。
あと「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は主人公の家族関係が結構ややこしいので、事前にホームページを見るなりしてネタバレにならない程度の設定を頭に入れておくのもひとつの手かなと。
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