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なぜ「スパイダーマン:ホームカミング」のスパイダーマンはこんなにダサいのか?【ネタバレ無】

権利問題で長らくMCUに参加できないでいたスパイダーマンが満を持してようやくMCUに主演デビュー!……のはずが、今回のスパイダーマンはとにかくダサい? 

目次

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 あらすじ

超人的な跳躍力や腕力を持つ少年ピーター・パーカーことスパイダーマンは、トニー・スタークから授かったスーツに身を包み、街の平和を守ろうと自警活動を続けていた。

活躍しようと張り切るピーターだが空回りばかり。そんな彼の前にトニーに恨みを持つ男バルチャーが現れ、宇宙人やウルトロンの武器の残骸を改造し武装したバルチャーにピーターはたった一人で立ち向かうことになるのだが……。

今までで一番ダサいスパイダーマン

これまでにスパイダーマンは、2002年のサム・ライミ版、2012年のマーク・ウェブ版と複数回に渡って映像化されてきましたが、今回のピーター・パーカー=スパイダーマンは過去のどのスパイダーマンよりもダサく描かれています。

スパイダーマン 東映TVシリーズ DVD-BOX

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 こっそり窓から自分の部屋に戻ったら中に友達がいてあっさり正体がバレたり、善良な市民を犯罪者と勘違いして糸を飛ばしたり、銀行強盗を捕まえようとするも失敗してあわや死人を出しかけたり……とにかく「ホームカミング」では初めから終わりまでピーターは失敗続き。予告で出てくる「真っ二つに割れたフェリーを繋げようとするけど上手くいかず結局アイアンマンに助けてもらう」シーンなんてまさに今作のダメダメスパイダーマンを象徴しています。

なぜ「ホームカミング」のピーター=スパイディーはここまでダサいのでしょうか? 過去のスパイダーマンや他のヒーロー映画と比較しながら考察してみます。

ダメなオタクがダメなままヒーローになる「キック・アス

今回のスパイダーマンと非常に類似点の多い映画がマシュー・ボーンの「キック・アス」です。

キック・アス」の主人公はアメコミヒーローが大好きなオタク少年デイヴ・リズースキー。デイヴは通販で買った傾向グリーンの衣装を着て町に蔓延る悪と戦いますが、彼は手首から糸も出なければ空も飛べません。唯一の取柄は末端神経の麻痺で痛覚が普通の人より鈍いことだけ。

キック・アスと名乗ったデイヴはリンチされていた男性を助けようとしますが、何せ一般人以下の力しかない彼ではとても暴漢は打ち倒せまん。ただあまりにもキック・アスが必死になったためか暴漢もリンチをやめて逃げ出し、その映像の録画がyoutubeにアップされてキック・アスはたちまちヒーローとして扱われるようになった……というのが映画の発端の部分になります。

身体的には一般人のデイヴがなぜヒーロー足りえるか? それは彼がやろうと思えば誰にでもできるけれど誰もやらなかった命がけの人助けを行ったからに他なりません。

「3人がかりで1人をリンチ、みんなはただ黙って見てる。僕にはそれが許せないんだ」-キックアス

確かにデイヴはただのボンクラオタクにしか過ぎませんが、彼のとった行動は彼にしかできない行動でした。

「主人公がヒーローに憧れてヒーローになろうとするオタクである」、「主人公は空回りしながらも努力し続ける」点で「キック・アス」は「スパイダーマン:ホームカミング」と非常に類似しています。今回のスパイダーマンが制作の段階で「キック・アス」から影響を受けている可能性も否定できません。

ベンおじさんの不在

スパイダーマン」と「アメイジングスパイダーマン」を今回の「スパイダーマン:ホームカミング」と比較したとき、まず目につくのがベンおじさんの不在です。

サム・ライミ版でもマーク・ウェブ版でもベンおじさんはピーターの逃がした犯罪者に殺されてしまうのですが、彼の死はピーターがスパイダーマンになるきっかけになります。自分のせいでおじさんが死んでしまった責任感や罪悪感から、ピーターはヒーローとしての「大いなる責任」を自覚するわけです。

しかし「ホームカミング」では、設定でこそベンおじさんは死んだことになっていても劇中でおじさんの死が描かれていません。

スパイダーマン (字幕版)
 

 

ヒーローと通過儀礼

アメコミ映画でそれまでただの人間だった主人公がヒーローになるには、多くの場合主人公になんらかの通過儀礼が課せられます。

たとえば「アイアンマン」では、傲慢で未熟だったトニー・スタークはテロリストに拉致されるという試練を課せられ、そこで自分の会社の武器がテロリストの手に渡っている事実を知り改心します。そしてトニーは自分にしか使えない武器である鋼鉄のスーツを開発しアイアンマンとなるのです。

同じく、「スパイダーマン」「アメイジングスパイダーマン」ではピーターはベンの死という通過儀礼を通してスパイダーマンスーツを身に纏うようになりました。

ですが「ホームカミング」のピーターはどうでしょう? 少なくとも劇中ではピーターは何の通過儀礼も終えておらず始めからスパイダーマンです。

未熟な若者は通過儀礼を通して一人前になりますが、逆を言えば通過儀礼を終えていない今回のピーター=スパイダーマンはスーツを着ていてもまだまだ未熟なヒーロー見習いなのです。だから「ホームカミング」のスパイダーマンは過去にないほど失敗続きでダサかったんですね。

 

ピーターの動機の変化

スパイダーマン」や「アメイジングスパイダーマン」ではピーターは「悪人を捕まえて街に平和をもたらす」「自身に与えられた力の責任を果たす」のような動機でスパイダーマンとなって活動します。

では「ホームカミング」でピーターがスパイダーマンになる理由はなんでしょうか?

もちろん今回のピーターだって正義感を持ち合わせた人物ですが、映画前半での彼の動機は「一人前のヒーローとして認められたい」といういかにも少年らしい承認欲求に違いありません。でも「認められたい」なんて思っているうちは認めてもらえないもの。彼の自警活動は空回りを続けます。

そんな未熟なスパイダーマンですが、映画が進むにつれて徐々に彼の動機は利己的な「認められたい」から利他的な「この人たちを助けなければならない」へと変化していきます 。

まさしくこの成長こそが「スパイダーマン:ホームカミング」のテーマです。

他のヒーローは通過儀礼を終えることでヒーローになりスーツを着るのに対し、今回のスパイディーはスーツを着てから通過儀礼に挑む、まさに本作はスパイダーマンの「補助輪外し」の物語なのです。

 

以上もゆるでした。ダサいダサいと連呼してしまいましたが映画自体はむしろバリバリスタイリッシュなので是非ご鑑賞あれ。