Walking Pictures

映画、書籍、ゲーム、その他もろもろサブカルチャーについて…

「インスタ映え」するアクションゲーム「Cuphead」の衝撃

どうも、もゆるです。

普段は映画の話しかしない当ブログですが、今回は映画ほっぽりだして遊んでしまうくらい面白いゲームがあったので紹介します。まあ紹介と言っても、ゲーム業界ではここ最近ずっと話題になっているゲームなんですけどね。

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タイトルはずばり「Cuphead(カップヘッド)」。ゲームのジャンルは2D横スクロールシューティングアクションです(つまり「ロックマン」みたいなゲーム)。

某国の著作権ネズミの頭部だけ取り替えたようなキャラクターデザインを見ればわかるように、このゲームは1930年代カートゥーンにインスパイアされています(ハハッ)。

「見る」ことに最適化されたゲーム

「Cuphead」最大の特徴がそのビジュアルであることは一目瞭然ですが、全てのモーションが手書きアニメーションである以上、「Cuphead」は「カートゥーン風」ゲームどころか「カートゥーン」そのものです。

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今回のブログで使っている画像は僕がプレイ中にスクショしたものなのですが、とにかくどの画面をキャプチャしても絵になります。

 

しかし正直なところこのゲーム、難易度が高すぎて遊んでいる最中はアニメなんてまともに見てられません。「Cuphead」のアニメーションを最も楽しめるのはプレイ中ではなく、他人のプレイを見ている時なのです。

 

「Cuphead」はもちろん自分でプレイしてもエキサイティングなゲームですが、他人が遊んでいる画面を観戦するのもまた最高に楽しいゲームなんですね。

 

本来は食べるためのスイーツが「インスタ映え」のために奇妙な形状へ進化していったように、「Cuphead」は遊ぶためだけのゲームではなく「実況映え」するゲームとしてゲーム界に颯爽と現れたのです。

 

トムとジェリー」で猫のトムがネズミのジェリーを追っかけまわすように、追いかけっこドタバタ劇はカートゥーンの王道中の王道です。

 

巨大な敵キャラクターが放つ弾幕から逃げ回る主人公Cupheadと、同時に聞こえてくる実況者の「痛っ!」とか「ミスった!」という声。「Cuphead」の実況動画は、それぞれがオリジナルなドタバタ喜劇になり得るのです。

Funko Vinyl Figure Cuphead Collectible

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高難易度だからこそ良質なゲーム体験が得られる

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表情豊かなキャラクターが跳んだり跳ねたり、あるいは極太ビームを吐いたりする姿をは可愛らしくて見る者を飽きさせませんが、アニメーションに夢中になっていては「Cuphead」の世界では生き残れません。

 

キャッチーで可愛らしいキャラデザのくせにこのゲーム、「ダークソウル」シリーズ顔負けの高難易度です。一瞬でも油断するとすぐさまゲームオーバーになりますし、ボスも初見では「は? 勝てるわけないやろ」状態です。

 

「折角の手書きアニメーションをじっくり見てもらいたいなら、アクションゲームでなく激しい操作の必要ないシュミレーションなんかのジャンルで出せばよかったのでは? 」と思わなくはありません。

 

しかし、難易度の高さこそが「Cuphead」のキモ。

 

アクション性の低いスマホゲームが流行する今、テレビやyoutubeを見ながら、ラジオやニコ生を聞きながらゲームを遊ぶのは当たり前になっています。しかし、このゲームは到底「ながら」では遊べません。

 

全神経を指先に集中させ、額に脂汗を滲ませ、オカンが「もうご飯やで」と言ってきても「今行く!」と言いながらコントローラーは手放さない。後で母ちゃんに怒られて一週間ゲーム禁止にされたとしても、ゲームに集中できた子供時代は幸せでした。

 

そして今、僕らは再びゲームに集中できるようになったのです。それも、母ちゃんにも父ちゃんにも、気まぐれに電源ボタンを押すペットのタマにも邪魔されることなく。

 

「Cuphead」は持ち前の高難易度で、僕らに集中してゲームを遊ぶという体験を取り戻してくれました。

懐古主義どころか、むしろ最先端のゲーム

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1930年代のカートゥーンにインスパイアされており、かつジャンルも2D横スクロールと聞くと、「古臭いゲームなのではないか?」と思われる方もいるでしょうが、『Cuphead』は決して巷に溢れるレトロゲームもどきではありません。このゲームは時代を感じさせる魅力的なグラフィックだけでなく、アクションゲームとしてのラディカルさも持ち合わせています。

 

 例えばステージの構成ひとつとっても、「Cuphead」が可能な限りストレスフリーな設計で作られているのがわかります。

 

これまでの横スクロールゲームでは1つのステージが「雑魚戦→(中ボス)→ボス戦」といった構成になっているものが殆どでした。しかしこのゲームでは「雑魚戦」と「ボス戦」は別々のステージに分割されており、ゲームをクリアするのに必要なのは「ボス戦」のクリアだけなのです(雑魚戦のステージでは装備を買うためのコインが手に入る)。

 

ワールドマップからステージに入れば即ボス戦開始。ゲームオーバーになっても煩わしい道中の雑魚戦からやり直し……とはならないため、高難易度ながらストレスの溜まりにくいゲームデザインになっています。

 

「Cuphead」、とにかくプレイすればするほどクオリティに驚かされる規格外の化け物級ゲームです。

これからプレイする人のために

僕自身まだステージ3の頭までしか進められていませんが、これから「Cuphead」を遊ぶ人に向けて、このゲームをより楽しむためのコツをお教えします。

  • 攻略サイトは見ない
  • 詰まったら別の戦法を試してみる
  • ゲームパッドを使った方が簡単(というよりはキーボード操作が難しい)

 「Cuphead」は確かに高難易度のゲームですが、装備の組み合わせや必殺技を使うタイミングなど戦い方を工夫すれば、アクションゲームが苦手な人でもなんとか進められます(昇竜拳のコマンド入力すら危うい僕でも)。

 

「このボスはこの攻撃の時はこの場所にいるのが安全だな」とか、「このボスのこの形態の時は難しいから必殺技でさっさと体力削りきろう」とか、自分なりに作戦を練ってボスを撃破した時の達成感は言葉にできません。

 

見てよし、遊んでよしの「Cuphead」はpc(steamなど)とXboxOneにて2000円前後で発売中(日本語版は実装予定)。

 

圧倒的コストパフォーマンス、本当にその値段でいいのか? 〇ィズニーに訴訟された時のために蓄えておいたほうがいいんじゃないのか? 

 

とまあ、今日はこのへんで。さようなら。

 

【感想】モノマネ映画評『アウトレイジ 最終章』

(※この文章は当ブログ管理人もゆるが勝手にビートたけしの文体を真似して書いたものであり、ビートたけし及び北野武とは何ら関係ありません)

まったく、自分の本の中で“そもそもの話、シリーズ第三作なんてものにいいものがあるわけないんだけど、(以下省略)”なんて言ってたクセにたけしの奴ちゃっかり豪華キャストの三部作なんか作りやがって。チクショー。

 

ターミネーター3』然り、『エイリアン3』然り、『ダークナイト ライジング』然り、三作目は駄作になるもんだ。それがわかってても撮っちゃうんだから、つくづくたけしも現金なヤツだぜ。

 

なんにせよ、見ちゃったものは見ちゃったもの。本題の『アウトレイジ 最終章』の話をするしかないな。

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目次だ、コノヤロー

 よく言えば北野映画の集大成、悪く言えば今までの寄せ集め

アウトレイジ 最終章』、ワンカット目に映し出されるのは真っ青な済州島の海。画としては申し分ない。『ソナチネ』や『あの夏、いちばん静かな海。』を彷彿とさせる、これぞまさにキタノブルーだ。

 

とでも言うと思ったかバカヤロー。いくらウケてるからって、バカの一つ覚えじゃないんだからこんなあからさまな使い方があるかっての。

 

だいたいこの映画、過去の自作から拝借してきた部品が多すぎる。

 

マシンガン乱射は『ソナチネ』、仕込み銃のアイデアは『3-4x10月』、立体駐車場の屋上使うシーンなんかは『HANA-BI』、他にも探せばキリがない。

 

もちろん見ているうちに過去作を走馬灯のように思い出せるのはエンタメとしては悪くはないかもしれないが、オイラは年食っても攻めの姿勢を崩さない北野武が見たかったぜ。

アナログ

アナログ

 

 

やはり北野武は役者の味を生かす天才料理人だぜ

監督北野武の一番の得意技は何か、と言えばやはり真っ先に思いつくのが役者の使い方の上手さだ。

 

アウトレイジ』シリーズは毎回登場人物の真に迫った演技が見ものだけど、今回は中でも日韓を股にかけるフィクサー張会長の大物オーラ漂う演技がたまらなかったね。

 

誰が演じてるのか気になって調べてみたら、なんでも張会長を演じてる役者は監督の知り合いの実業家で演技のプロでもなんでもないんだと。これは演技指導の勝利って言うよりは元々実業家やってるヤツに実業家の役やらせた北野の作戦勝ちだな。

 

『その男』や『ソナチネ』の頃からの話だけど、北野武はとにかく役者に芝居をさせたがらない。無駄な演技をそぎ落として殆んど役者そのものにまで近づいた登場人物を撮ろとする。

 

エンタメ路線に走った『アウトレイジ』シリーズはちょっとばかしヤクザの芝居がクサいんだけど、沈黙で全てを語る過去の北野映画へのカウンターとして考えれば怒号飛び交う『アウトレイジ』シリーズも悪くないと思うぜ。

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ド派手なバイオレンスはハリウッドで十分

今回は『アウトレイジ』や『アウトレイジ ビヨンド』に比べて、派手な暴力シーンや殺陣が少なかったと文句を言ってるヤツもいるみたいだが、今作ぐらい落ち着いた作風のほうが邦画に合ってると思うね。

 

邦画の予算じゃ所詮いくら派手にしたってたかが知れてる。なんせ海の向こうじゃこっちの何十倍もの予算で映画撮ってるんだから。

 

それよりも、むしろ邦画が目指すべきは洋画には出来ないこと、字幕や吹き替えでは読み取れない微妙な感情の機微を描くことじゃねえのか。

 

その点では『アウトレイジ 最終章』はバッチリ成功していたぜ。大杉漣のどこかヤクザになりきれていないヤクザの演技や、張会長の静かな迫力は外国人にはなかなか伝わらないだろうね。

 総評 決して悪い作品じゃないが、もっと大胆にハジけて欲しいね

悪口紛いのことも色々言っちまったけど『アウトレイジ 最終章』、見て損はない傑作だぜ。エンタメ映画としての出来は申し分なしだ。

 

ただ、今後も自己模倣的な映画ばかり撮るようじゃ「世界のキタノも老いた」と言われる日は近いんじゃないかな。

 

だいたい最近のたけし、ほとんど説教ジジイじゃねぇか。『アナログ』なんて一行目から「アジェンダ」や「エビデンス」みたいな横文字並べる上司への文句から始まるが、いまさら「横文字用語が意味不明」ネタは古すぎるだろう。

 

おっと、悪口の筆が乗ってくる前に、「カット、カット」。

 

仁義なき映画論 (文春文庫)

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【映画エッセイ】北朝鮮とピアース・ブロスナンと兵士の顔のはなし

このブログでは日々新作映画のレビューや見どころ紹介をしているわけだけど、最近はアクセス数も打ち止め気味で、正直なところ少し飽きてきた。

 

そこで今日からは映画ブログという路線は維持しつつも、これまでとは趣向の違う記事、というよりもエッセイやコラムに近い文章を書いてみようと思う(エラソーな文章でごめんなさい)。

 

記念すべき第一回は何の映画について書こうかとニュースを見ていたところ、「そうだ、北朝鮮の映画だ」と天啓が下りてきた。

 

てなわけで、今回紹介(?)する作品は「007 ダイ・アナザー・デイ

ダイ・アナザー・デイ (字幕版)

 007シリーズ40周年にしてシリーズ20作目のダブルアニバーサリーというドエラくめでたい本作だが、内容は『彼岸島』や『テニスの王子様』にも引けを取らないトンデモ映画。

 

だいたい冒頭のボンドがサーフィンで北朝鮮に忍び込むシーンからして笑いを取りに来てるとしか思えない。海から侵入するにしてももっとスマートなやり方があるだろう、サーフィンて。波の調子が悪かったらどうするつもりだったんだ。

 

サーフィンで密入国とか、顔にダイヤモンドがめり込んだ悪役とか、14ヵ月間の拷問に耐えたわりとケロっとしてるボンドとか、そんな違和感だらけの「ダイ・アナザー・デイ」だけど、今挙げた違和感はおそらく「意図された違和感」だ。007シリーズお決まりの現実離れした演出、アホカッコいいとでも言うべき演出は狙ってやっているに違いない。

 

でもこの映画には意図されていない違和感もある。ずばりその違和感の正体は「北朝鮮兵の顔」だ。

 

いくら北朝鮮を舞台にするからといって、さすがの007シリーズも本物の北朝鮮人を使うわけにはいかなかったらしく「ダイ・アナザー・デイ」に登場する北朝鮮人は韓国・中国人のミックスで構成されている。

 

でも北朝鮮の制服を着たからって韓国人は韓国人にしか見えない。北朝鮮特有の野暮ったさみたいなものがまるっきり感じられないのだ。この映画に出てくる北朝鮮兵はエキストラ一人とっても兵士らしくキマっている。

 

「兵士らしくキマってるならいいじゃない」?、そりゃその通りですけど、現実の北朝鮮兵の最大の特徴ってまるで兵隊のコスプレをしているかのようなキマってなさじゃないですか。

 

いやいや、フィクションなのはわかってますよ。リアリティを追求したら絵にならなくなるのは承知ですし、文句がつけたいわけじゃない。でも見たいじゃないですか、ホンモノの北朝鮮兵がうじゃうじゃ出てくる映画。

 

同じアジア人でも国が違えば顔も体格も違ってくるのは当たり前。第二次大戦もので日本兵の役を韓国・中国人が演じたんじゃ、しっくりこないに決まってる。

 

まあ僕はよく中国人と間違われるんだけど…。

 

 

【解説】ノーランの「ダンケルク」は予習すれば100倍楽しめる!【感想】

どうも、もゆるです。

先日別れ話をされた女性から「もう友達にも戻れない」と宣言されて、絶賛「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見た後みたいな気分になってます。

しかしながら、傷ついたハートを抱えて公開初日の「ダンケルク」を鑑賞してまいりましたので、早速解説させてもらいます!(空元気!)。

ダンケルク (ハーパーBOOKS)

目次

 あらすじ

1940年、ナチスドイツの進撃は既にフランスまで及んでおり、イギリス軍フランス軍は共にフランス北部の都市ダンケルクまで追い詰められていた。

撤退を余儀なくされたイギリスは民間の船を使用し、ダンケルクに駐在する兵士を救出する「ダイナモ作戦」を展開するが、救出を待つ兵士らの頭上には既にドイツ軍の戦闘機が迫っていた……。

3つの時系列が入り乱れる

「ノーランの映画は難解」の法則

やってくれました「ダンケルク」。

インセプション」に「インターステラ―」、「メメント」と予備知識なしでは何が何やらな映画ばかり撮ることで有名なクリストファー・ノーランがついに実話に挑戦! とのことで、「まあいくらノーランでも、実話ならわかりにくくはならないでしょ」と肩の力を抜いて劇場に足を運んだのですが……。

「やっぱりよくわからない!」

ダンケルクからドーバー海峡を渡ってイギリスに撤退する話なのは勿論わかりますよ。それで撤退するイギリス軍の視点と、救出しにくる民間人の視点と、救出作戦の援護にあたる英国空軍の視点が平行して語られるのも理解できます。

でもどうしても一時間くらい経ったあたりから画面上で起きていることが飲み込めなくなってきてしまう。

映像も強烈で、音も味があって、めちゃくちゃ面白いんだけれど……状況がイマイチはっきりしない。

もやもやした頭で映画館を出たぼくはすぐに家に帰ってパソコンを開きました。

ダンケルク」 検索

編集で生み出された時間的なウソ

ダンケルク」は撤退する兵士、救出に向かう民間人、護衛する空軍の3つの視点が同時進行で語られる映画だと書きましたが、(天下のグーグル先生によると)この3つの視点は映画では同時進行で語られているけれども、実際は時間的にかなりのズレがあるんですね。

ダンケルク」で登場人物たちのとる行動を編集された状態から未編集の状態に戻すとこうなります。

英・仏軍、ダンケルクから撤退開始→6日後、ダイナモ作戦が展開されイギリスから民間船が救助に向かう→さらに23時間後、イギリス空軍が救助船の援護のため出撃

はい、実は現実の時系列では同時進行じゃなかったんですね。3つの勢力が同時進行で動いてるのは一週間の間最後の1時間だけだった、と。

クリストファー・ノーランはなんとかしてこの流れを映画的に面白く見せるために、あたかも3つの視点が同時進行で動いているように見える編集をしたのでしょう。さすが事件の終わりから事件の始まりに向かって進んでいく映画を撮った監督です。

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 一応字幕で「1hour」とか「1week」とか出てましたけど、あれで時系列がいじられてるって気づける人いるんですかね……。

ダンケルク」、IMAXで見るか MX4Dで見るか

IMAX大好きおじさんクリストファー・ノーラン

これは「ダンケルク」について書かれたページなら猫も杓子も言ってる話ですが、IMAX大好きなノーランは今回もIMAXカメラ&フィルムで「ダンケルク」を撮影しているので、鑑賞はIMAX推奨です。とにかく映像(音もですが)にこだわって撮られた映画で、開幕1ショット目から腰が抜けそうなほどド迫力なので、迷ったらIMAX!

MX4D(4DX)も相性良さげ

これは経験則なのですが、MX4Dは「乗り物に乗る」映画ととにかく相性が良いんです。「マッドマックス 怒りのデスロード」然り、「マッドマックス 怒りのデスロード <ブラック&クローム>エディション」然り。

そして「ダンケルク」は多くのシーンが、登場人物が船か飛行機に乗っているシーン。しかも手堅い歴史もの映画に見せかけて上映時間短めの「最初からアクション全開」な映画なので、MX4Dで見ればエキサイティングなのは間違いなし! 

既にIMAXで鑑賞済みの方も、一回見ただけでは内容が理解できなかった方も、ぜひMX4Dをお試しあれ。

すごいよクリストファー・ノーラン

またしてもノーランにしてやられたと言いましょうか、この人いつもいつも頭使わないと理解できない映画ばっかりじゃないですか。

なんでも「ダンケルク」は既に世界興行収入が3億ドル越えらしいですが、アメリカ人はこの内容一発で読み取れるんでしょうかね。それとも読み取れなかったぼくがバカなだけなんですかね。

高価なIMAXカメラ使って、CGは極力使わない宣言して本物の戦闘機や船用意して、「バカには伝わらなくていい」的な映画を取れるノーランの肝の据わり方、見習いたいものです。

 

さてまだまだ書き足りないのですが、「ダンケルク」についてはもう一回見に行って色々調べたうえでもう一本記事を書こうと思っているので、今日はこの辺にしておきます。以上もゆるでした。

 

 

ps.映画館でCM中に女の子のこと思い出して落ち込んでるヤツがいたら多分ぼくなので慰めてやってください。

【北野武】全作品解説「ソナチネ」【感想と考察】

どうも、もゆるです。最近またフラれました。

さて、それはともかく今日紹介するのは北野武監督4作目にして、最高傑作と名高い「ソナチネ」。

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目次

 概要

北野武最高傑作のはずが……

北野映画が大好きないわゆるキタニストと言われる皆さんに「たけしの映画でどれが好きですか?」と聞くと、まあ大抵の場合答えは「ソナチネ」と返ってきます(当社比)。

僕はどちらかと言えば「3-4x10月」の方が好みではありますが、確かに「ソナチネ」は最高傑作と言われても文句のないクオリティの作品です。

批評家からの評価も公開当時から高く、じゃあ気になる興行収入の方はというと……残念ながら惨敗。

ソナチネ」の一作前の「あの夏、一番静かな海。」も同じく批評家ウケしたものの興行は失敗に終わっていて、その際怒ったビートたけし

どいつもこいつもガン首揃えて俺の映画を褒めてくれたんだぜ。あの淀川さんだって『たけしが好きになった』っていってくれたし、おすぎにしても誰にしてもいい映画だっていったじゃない。おまけに「日本映画ペンクラブ」が推薦映画にしてくれたらしいんだけど、“へ″の突っ張りにもなりゃあしない。そんな推薦なんかいらねーぞ、チクショー!

          『映画評論・入門 観る、読む、書く』モルモット吉田内の引用から

と発言しています。うーん、映画ブログなんてやってる身からすれば実に耳に痛い話です。

ま、そんな話は置いといて中身行きましょう中身。

あらすじ

※〇〇組組長▽▽とか書いてると非常に読みづらい文章になるので単純化してお伝えします。

上司のヤクザ「おい村川(ビートたけし)、沖縄でちょっと揉め事が起きてるみたいだから何人か手下連れて行って抗争終わらせてきてくれねぇか」

村川(ビートたけし)「なんだよ、めんどくせぇ。オイラいい加減ヤクザやんなっちゃったぜ」

上司のヤクザ「そんな事言わないで、行くだけでいいから」

一同沖縄へ

村川「おい! 行くだけでいいって話じゃなかったのか! 来た途端組員撃たれて死んじまったじゃねぇか、バカヤロー」

村川「仕方ねぇ騒ぎが収まるまで沖縄で隠居してるか」

村川と愉快なヤクザ達の夏休みが幕を開ける……!

コント「ヤクザの夏休み」

ソナチネ」、パッケージの銛に刺されたナポレオンフィッシュが不気味でいかにもバイオレンスたっぷりの怖い映画に思えますが、「アウトレイジ ビヨンド」みたいに自分の指噛みちぎったり、ドリルで頭に穴開けたりはしないのでご安心を。

むしろ「ソナチネ」の半分は「ほのぼの」で構成されています。ヤクザが沖縄まで来たけどやる事もないから遊ぶ。花火したり、紙相撲したり、落とし穴作ったり、普段は強面のヤクザが無邪気に遊んでいるギャップが笑えるんですね。

光と闇のコントラスト

人間紙相撲に代表される昼のシーン

北野武の映画では海や空を透き通った真っ青に撮るため、北野映画を語る時よく「キタノブルー」という言葉が使われます。そして「ソナチネ」もとにかく青が画面に映えて美しい。

昼間の太陽が輝いているシーンの空はとにかくすがすがしい青で、その青をバックに赤やら緑のカラフルなアロハを着たヤクザがぽつぽつと映っているのが、これまたいい。

特に寺島進勝村政信が人間紙相撲をするシーンは格別で、このシーンはストーリー上何の必要性もないにもかかわらず有名な場面です。


ソナチネ Play on the sands - 久石譲

全てが濃紺に染まる夜

昼間のすがすがしい青と対比するように配置されるのが、夜のシーン。ナイトシーンは昼のシーンに比べると目立たないので印象に残っていないかもしれませんが、注意して見てみると「ソナチネ」には昼のシーンにも劣らぬくらいナイトシーンが入っているのがわかります。

このナイトシーンの色味もまた魅力的で、昼のシーンと同じく青みがかっているので画面全体が濃紺に染まっているんですね。その濃紺が沖縄の自然と相まってもうそれはそれは神秘的で、なんとも哀れなんですね(淀川風)。

細かく演出されたキャラクター

北野映画ではたけし軍団や邦画の大御所など監督のお気に入り俳優が繰り返してキャスティングされる傾向がありますが、「ソナチネ」も寺島進大杉漣などいつもの面々が登場しています。彼らの演じるヤクザはヤクザらしくもありながら愛嬌があって、見れば見るほど北野武って本当に役者を立てるのが上手い監督だと実感させられます。

寺島進

寺島進の演じる村川の部下ケンは初めはいかにも堅物というか、何故かどのショットでもいつも真正面を向いて表情を動かさず(つまりずっと真顔)黙ったまま。真顔なんか映してどうすんだ、と思うかもしれませんが寺島進は強面だから、これが意外と真顔でも画が持つんです。

そして沖縄で勝村政信演じる良治と仲良くなってくると表情もほぐれてきて途端に饒舌になります。寺島進は黙らせればカッコよくて、喋らせるとオモシロい。北野映画のマスターピースですよ。

寺島進のアニキに聞けよ!―困ったときはいつでも来い!

寺島進のアニキに聞けよ!―困ったときはいつでも来い!

 

 

大杉漣

村川の部下の中でもう一人目立つのが大杉漣演じる片桐。村川に対してはやたらと礼儀正しく、村川ら他のヤクザがスーツを着崩すのに対して片桐だけはフォーマルな着こなしで胸ポケットにはポケットチーフまで。

けれども片桐はキレると怖いタイプのようで、冒頭から「ヤクザなめてんじゃねぇぞ! 攫っちまうぞ!」と迫真の怒号を見せてくれます。あれですね、学校で怒られて一番おっかないのは普段優しい先生っていう、あれ。

現場者―300の顔をもつ男

現場者―300の顔をもつ男

 

 

北野映画のつくりかた 

形骸化したストーリー

 当たり前の話ですが、普通映画にはストーリーがあります。例えば「スターウォーズ ep4」は「ルーク・スカイウォーカーが自らの使命に目覚めて、大量破壊兵器デススターを破壊する」というストーリーがあります。またストーリーにはほとんどの場合「目的」があって、エピソード4なら目的は「デススターの破壊」ですよね。

ところが北野映画はぶっつけ本番でどんどん脚本を変更していく撮影法も関係してか、「ストーリーの目的」と呼べるものがほとんど無いに等しいんですね。

「ソネチネ」の主人公村川は抗争を手打ちにするために沖縄に送り込まれますが(目的)、実際に沖縄へ行くと手打ちどころか抗争が激化していてどうしようもない。そして「ストーリー上の目的」を達成できなくなった村川たちは、とうとう沖縄の浜辺で暇を潰し始める、と。ストーリーが途中で横滑りしてあらぬ方向に行っちゃってます。

ソナチネ」のストーリーをスターウォーズに置き換えてみると「ルークはデススター破壊のためデススター潜入を試みるがあえなく失敗、仕方なくルーク一行はナブーでひと夏のバカンスを楽しむ(その後ハン・ソロやチューイを帝国に殺されたルークが一人で帝国軍を滅ぼす)」という感じでしょうか。めちゃくちゃですね、だって「ソナチネ」のストーリーもめちゃくちゃですもの。

 

コントだからストーリーがない

ビートたけし浅草フランス座での芸人下積み時代にストリップショーの幕間でひたすらコント の実践を積んできたわけですが、このフランス座での経験は明らかに北野の映画作りに生かされています。

コントと漫才は混同しがちですが、コントの特徴は「劇」であること。芸人がそれぞれ警察官なりヤクザなりを演じて状況を演出し笑いを撮るのがコントです。つまりコントはお芝居ですから、コントの技術・演出力は映画の作劇にも生かされるはずです。

北野映画は突き詰めれば、ショートコントを繋げて繋げて一時間半程度にまとめ上げたものです。北野映画のストーリー性が希薄なのは、コントにはストーリー性も、ストーリー上で達成すべき目的もないからなんですね。

 

 

さて長くなりましたので今回はこのあたりにしておきます。「ソナチネ」もBlu-ray出るので、キタニストのみなさんはマストバイ。

 

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 以上もゆるでした(twitterフォローお願いします!)。

【北野武】全作品解説「その男、凶暴につき」【感想と考察】

どうも、もゆるです。

不思議なもので一度落ちた更新頻度ってなかなか戻せないものですね。

それはともかく10月の「アウトレイジ 最終章」に向けてちゃっちゃと北野映画の解説を進めていきます。

今日取り上げるのは北野武の処女作「その男、凶暴につき

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目次

概要

ビートたけしから北野武

記念すべき北野武監督の一作目の映画「その男、凶暴につき」。

この映画、元々は「仁義なき戦い」や「バトル・ロワイヤル」の深作欣二が監督を勤める予定で、ビートたけしはあくまでも主演でのキャスティングだったというのは有名な話です。

作監督のスケジュールの都合でビートたけしにメガホンが回ってくるという偶然によって、監督北野武は誕生したのですね。

北野の作家性が凝縮された作品

「処女作にはその作家の全てがある」とはよく聞く話ですが、「その男」には以降の北野作品で頻出する要素がしっかりと入っています。

具体的には「沈黙」、「死」、「ヤクザ」、「暴力」、そして「笑い」ですね。言ってしまえば北野は処女作以降何度も「その男」を作り直していると言ってもいい。それほどまでに「その男」には監督北野の作家性が凝縮されています。

大幅な脚本の変更

その男、凶暴につき」では北野武はまだ監督・主演しか(監督・主演を「しか」と言うのもどうかと思いますが)勤めていませんでした。編集や脚本は他のスタッフが担当していたんですね。

しかし、実は「その男」では北野が撮影中に脚本を変更につぐ変更で改稿しまくり、結果的に野沢尚の書いた元の脚本からかなり離れた作品になっているようです。

なんでも監督が当日の撮影分の脚本をいきなり変更するもんだから、スタッフが撮影現場の近くの会社でコピー機を借りて新しい台本を刷ったりしていたんだとか。

その辺の撮影時のウラ話が気になる人は是非『監督たけし 北野組全記録』をご覧ください。

監督たけし―北野組全記録

監督たけし―北野組全記録

 

 

あらすじ

中年刑事の我妻(ビートたけし)はなにかと暴力沙汰ばかり起こす署内でもいわくつきの問題刑事。

新人刑事の菊地(芦川誠)と共に麻薬がらみの殺人事件を追う我妻だが、事件の根は想像以上に深く、警察側からも死傷者が出るほどの騒ぎへと発展していく。

持ち前の凶暴さを抑えられない我妻は如何に事件の決着をつけるのか。

めちゃめちゃ怖くした『こち亀

その男、凶暴につき」がどんな映画か、一行で書くとしたら「常識外れな警官がめちゃくちゃやる話」といったところでしょうか。

我妻はまさに映画のタイトル通り、相手が学生だろうが平気で暴力を振るう凶暴な男です。けれども彼は凶暴なだけではなくて、たまにジョークを言う愉快なおじさんでもある。

この映画は北野作品の中でも特に緊張が持続する作品ではあるものの、それでもちょくちょくコントのような演出が出てきます。犯人を車で追ってたら我妻が車の操作を間違えてワイパーが動いちゃって「なんだコノヤロッ、なんだコノヤロー!」とか言い出したり…(ちなみにこれは本当ににたけしが操作を間違えてあたふたしているカットを面白いから採用したんだそう)

存在感を放つ沈黙

※ここから若干ネタバレが入るので気になる方は注意

北野映画最大の特徴とも言えるのが、限界まで押さえられたセリフの量。

特に「その男、凶暴につき」では刑事を辞めて以降、我妻は一切言葉を発さなくなります。役者が無言になることでこの映画には独特の迫力が生まれていますが、実は北野映画における沈黙はこんな理由から生まれたんですね。

「我妻やってるときも、次のカットが気になってしょうがないんだよな。だから役作りもなにもあったもんじゃない。ただやってるって感じになっちゃってさ。だめだよ、ありゃ。だから我妻の台詞もほとんどなくしちゃってさ、ただオレが大変だからって理由だけなんだけど、逆に迫力出ちゃったね、~以下省略」

              『監督たけし 北野組全記録』 佐々木桂

要約すると、「監督と役者を一緒にやると大変だったから役者分の負担を減らすためにセリフを減らしたら逆に迫力が出た」てな感じでしょうか。

セリフが少ないからこそ演技が自然になり、それによって役者が持っている本来の魅力・迫力が引き出される。北野作品の沈黙は役者を引き立てる最高のスパイスです。

日本版「ダーティーハリー」

『監督たけし 北野組全記録』のプロローグにはこう記されています。

その男、凶暴につき』の撮影台本は灰色の表紙だが、その前に二つの台本があった。

白い台本と黄色の台本。

白い台本を見ると、そこには監督として深作欣二さんの名が刷り込まれている。主演はビートたけし。その映画は『ダーティーハリー』の日本版ともいうべき、大アクション映画になるはずだった。

 この文章を書いたのは佐々木桂なので、脚本の野沢尚や監督を予定されていた深作欣二がそれを想定していたかはわかりませんが、もともと「その男」は日本版「ダーティーハリー」になるはずだったんです。

いや、アクション映画ではないという点さえ目を瞑れば「その男、凶暴につき」は「ダーティーハリー」と相当近い映画になっています。

既存の法律に縛られない刑事が凶悪な殺人犯を捕まえようと奔走し、一度は捕まえるものの逃げられ、最終的に主人公が刑事を辞めて個人として犯人を殺す。「ダーティーハリー」も「その男」も単純化してしまえばストーリーは同じです。

また我妻がでっち上げ別件逮捕で清弘(白竜)を警察署に拘留した後のシーンで、我妻がわざと清弘の手の届く場所にナイフを置いておき、清弘がナイフを手に取ったら銃殺するという作戦を実行しますが、これはもう間違いなく「ダーティーハリー」のオマージュでしょう。

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その男、天才につき

多忙な北野は「その男」撮影中も、本業であるビートたけしとしての仕事を辞めず「オールナイトニッポン」やテレビ番組に出続けていました(一週間撮影したら次の週はテレビ・ラジオ……という具合で回していた)。

専業の映画監督のように一日中映画のことばかり考えていられる状況ではなく、かつ初めての監督でここまでの傑作を作り上げた北野に相応しい言葉はもう「天才」しかないでしょう。

テレビで見るビートたけししか知らないあなたも、そもそもテレビも見ないからビートたけしに興味のないあなたも、とにかく北野武の映画を見てください。面白い事は保証します。

ちなみに「アウトレイジ 最終章」の公開に乗じてか、北野武作品が続々とブルーレイになってますので、是非!

 

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【北野武】全作品解説part1~「キッズ・リターン」~【感想と考察】

どうも、もゆるです。

いきなりですが「アウトレイジ 最終章」の公開に先立ち、これから数回に渡って北野武監督作品を一作品づつ紹介していきます。順不同になりますがキチンと全作品について書くのでどうかお付き合いください。

それでは第一回は北野武のバイク事故からの復帰以降初めての作品であるキッズ・リターン」(96)です。

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目次

 あらすじ

不良高校生のマサル(金子賢)とシンジ(安藤政信)は授業にも出ず、毎日カツアゲをしたり喫茶店でダベったりと自堕落な生活を送っていた。ある日一念発起してボクシングを始めたマサルだが、才能を見出されたのはむしろ付き合いでジムに来たシンジの方だった。

自信を失いボクシングを辞めヤクザになったマサル、そしてボクサーとして着々と成長しつつあるシンジ。二人の青春の行く末は……

北野映画未経験の人にオススメ

北野映画と言えば「ソナチネ」や「アウトレイジ」のような極道モノのイメージが強いかもしれませんが、キッズ・リターン」は高校生を主人公にした青春もので、極端な暴力シーンや意味のわかりにくい描写はそこまで出てきません。

ですが同時にこの映画にはカメラワークやカットの割り方、主人公の性格など北野武の作家性が強く出ています。だから「北野武の映画ってどれから観たらいいの?」と聞かれたら僕は迷わず「キッズ・リターン」をオススメします。例えるなら「本格中華が食べてみたいけど辛いのは苦手」という人に薦められる辛さ控えめの中華屋といった感じでしょうか。

ストーリーはあってないようなもので、主人公はシンジとマサルという名前の二人の不良高校生。シンジは北野映画の主人公にありがちな無口な男で、そのシンジの兄貴分が「マーちゃん」ことマサルです。

高校卒業後、ひょんなことからシンジはボクサーにマサルはヤクザの道に進んで二人は袂を分かちます。二人はそれぞれ自分の道を突き進んでいくのですが、そう上手くいくはずもなく……というのがおおよそのあらすじですが、あらすじだけでは北野映画の面白さは図り切れません。

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徹底して映像で語る

映像で語るとは?

映画作りのセオリーのひとつに「映像で伝えられることは映像で伝えるべき」というものがあります。「見た目は子供、頭脳は大人、その名も名探偵〇〇ン」みたいにセリフで登場人物の設定や状況を紹介してしまうと、どうしてもダサくなってしまいます(〇〇ンは漫画・アニメなので成立しますが)。

そして映像で映画を語ることを率先してやっている監督がまさに北野武その人。キッズ・リターン」を見てみてください、とにかく映像で語るのが上手い。

例えばこの映画、冒頭にシンジとマサルが校庭で自転車に二人乗りする有名なショットがありますが、授業中に校庭で二人乗りしてる映像を見せるだけで観客には二人がどのような関係でどのような学生なのかが一瞬で伝わります。そして映像で状況と設定を語った以上、もはや言葉による説明は蛇足にしかなりません。北野映画の登場人物が異様なほど寡黙で、沈黙のショットが多いのはセリフによる説明を徹底的に排除して映像で語っているからなんです。

映像で張られた伏線を読み解く快感

キッズ・リターン」には映像で張られた伏線が無数に散らばっています。本作は一度だけでなく二度三度と見返して貰いたい映画で、見返すと映画あちこちにその後の展開を仄めかすヒントが配置してあるんです。

例えばシンジはジムでボクシングの反則技を覚えることになりますが、実は彼が反則を教えられる少し前のシーンで、他のボクサーがジムでその反則技を練習している姿が映し出されています。このように映像表現による伏線を用いて段階的に語っていくことで、映画はより地に足のついた説得力のあるものとなっていきます。

もうこの映画一本見るだけで北野武という監督がいかにクレバーで、いかに計算づくで映画を撮ってるか一目瞭然ですよ。芸能人が片手間で撮った映画だと思ってナメてる人がいるかもしれませんが、北野武の映画はどう見ても「本物」です。

若者の心理を見抜く力

監督本人もインタビューで発言していることですが、この映画には「登場人物の両親や家庭が一切出てこない」という特徴があります。「キッズ・リターン」にはマサルの家の玄関が数回出てくるだけで、あとはもうどの登場人物の親も家族も出てきません。

親と子の断絶は北野映画ではそこそこ出てくるテーマです。例を挙げれば菊次郎の夏では小学生の男の子が菊次郎(ビートたけし)とひと夏の思い出を作る映画ですが、菊次郎は男の子の父親ではありません。男の子は親に捨てられておばあちゃんに引き取られているという設定なんですね。また北野武監督作品ではないものの、出演作であり北野と交流のある深作欣二バトル・ロワイヤルも親世代と子供世代の分離を描いた作品と言うことができます。

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ライトノベルによく見られる親と子の断絶

登場人物の両親が登場しない、といえばゼロ年代以降急速にその勢いを伸ばした「涼宮ハルヒの憂鬱」や「とある魔術の禁書目録」に代表されるライトノベルの作品群では主人公の両親が登場しなかったり、あるいは登場しても影が薄かったりする傾向が顕著です。

ゼロ年代以降にラノベ・アニメ畑で加速する親と子の断絶を、96年という早い段階で察知して映画内に仕込んでいた北野監督の感覚はさすがとしか言えません。

なぜシンジはダメになってしまったのか

※ここから映画の後半の場面に言及するのでネタバレ注意

親と子の断絶というテーマを踏まえて「キッズ・リターン」を見ると、なぜシンジがモロ師岡演じるダメボクサー林に付け込まれてボクシング引退まで追い込まれたかが見えてきます。

シンジには主体性がありません。ボクシングもマサルに勧められたからなんとなく始めただけですし、マサルが辞めるた時には連れだって辞めようとしていました。彼には自分が何をしたいかがわかっていないんですね。

主体性がない以上、シンジは自らの行動の規範となる人物を必要とします。だからシンジはマサルを兄貴分として慕いいつも一緒にいました。落ちこぼれで親にも教師にも相手にされないシンジにとって唯一自分の傍にいてくれるのがマサルだったわけです。だからシンジはマサルがどんなにダメな人間で、カツアゲしていても酒を飲んでいても付き合い続けていたのでしょう。

ところがヤクザになったマサルはシンジの前から消えてしまい、一人では生きられないシンジはすがるように林に依存していきます。ジムのトレーナーや会長を慕って付いていくことはシンジにはできませんでした。その理由はトレーナーや会長はシンジを、「強いボクサーという」条件付きでしか承認してくれないからではないでしょうか。マサルや林は、シンジがどんな状態の時でも常に彼を承認してくれる存在です。

 

シンジは自分をリードしてくれて、かつ無条件で承認してくれる人物……つまり親代わりの存在を求めたがために堕落の道を歩んでしまった。以上が僕なりの「キッズ・リターン」の読み方です。

 

「まだ始まっちゃいねぇよ」

「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」

「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」

キッズ・リターン」ラストのこのセリフは、希望ともとれれば絶望ともとれる名台詞です。ぼく自身は「まだ始まったばかりだよ」ではなく、「まだ始まっちゃいねぇよ」である点がこのセリフのミソだと思っていて、高校を卒業して尚スタート地点に立つことすらできず、かつその事実をポジティブに受け止めてしまうマサルにはどうしてもマイナスのイメージを抱いてしまいます。

 

あなたはこのラストのセリフについてどう考えますか?

ご意見・ご感想のある方はぜひコメント欄やtwitterなどに一言くだされば幸いです。

以上もゆるでした。