Walking Pictures

「映画をもっと面白く」をスローガンに古今東西の映画について語ります

「ソシャゲ中毒者はモテる才能がある」という仮説

どうも、もゆるです。

いつもは映画の話ばかりしているWalking Picturesですが、最近どうもマンネリ気味なので気まぐれに「モテ論」というか、恋愛論のような話をしてみようかと思います。

目次

 なぜぼくらはソシャゲにハマるのか?「向上心」と「スケベ心」

グラブル、パズドラ、モンスト、FGO、いまや無数のソーシャルゲームがリリースされていて、電車の中でも大学の中でも「石を投げればソシャゲを遊んでいる人に当たる」状態。

学生も社会人もソシャゲに時間と金を注ぐ現代、恋愛よりソシャゲの方が楽しい……とお思いの方もいるかもしれませんが、実はソシャゲの楽しさと恋愛の楽しさって似ているんです。

ソーシャルゲームの構造

ソシャゲも種類によってさまざまなルールや遊び方があるでしょうが、ほとんどのソシャゲは「育成要素+ガチャ+α」で構成されています。

具体例を挙げて説明しましょう。

この通り、まず「育成要素」と「ガチャ」が基本の骨組みとしてあって、そこにどんなプラスアルファをするかで差別化をしている、というのがソシャゲの現状なわけです。

つまりソシャゲの面白さの多くの割合は「育成要素」と「ガチャ」に占められている。ではなぜぼくらは「育成」や「ガチャ」にここまでお熱になってしまうのでしょうか?

「育成要素」は向上心を刺激する

レベル上げ、素材集め、進化、トレーニング……ソシャゲをやっていると大抵この手の言葉が嫌でも耳に入ってきますが、それってやっぱり人間が本能的に「自身の能力が向上する」ことに快感を感じるからでしょう。ゲームに限らなくとも、テストの点数上がったとか、営業の成績が今月トップだったとか嬉しいじゃないですか。

人間が本能的に持っている向上心を上手く刺激するからこそ、ソシャゲには「育成要素」が入っている、とぼくは考えてます。

「ガチャ」はスケベ心を刺激する

「育成要素」と双璧を為す、ソシャゲのもう一つの魅力。それが「ガチャ」です。

ただのデータに何千円何万円も払ってしまうのってソシャゲをやらない人からしたら、もう狂気以外のなんでもないんですけど、ソシャゲ慣れしてるとガチャ課金なんてなんの抵抗もありません。

だってガチャすれば強いキャラや、可愛いキャラが手に入るんですから。

強いキャラが手に入るというのは、そのソシャゲ内での自分の実力の向上に繋がるわけですから「育成要素」でもありますね。お金を払って強くなる。

そしてソシャゲのガチャで手に入るのは単にゲームを有利に進められる強いキャラだけでなく、往々にして希少なキャラは見た目が可愛かったり有名声優がアフレコしていたりします(可愛いの部分は男キャラの場合「カッコいい」になります)。

はい、これが「ガチャ」の魅力ですね。「育成要素」は向上心を刺激して、「ガチャ」はスケベ心を刺激する。

恋愛=ソシャゲ

ここまででソシャゲの魅力とは向上心とスケベ心を刺激する点だと述べてきましたが、いよいよ本題です。単刀直入に言ってしまえば、恋愛の楽しさも要は向上心とスケベ心の刺激なんですよね。

※ちなみにこのエントリでの恋愛の定義は「彼女(彼氏)を作るための行動、そして彼女ができてからの相手とのコミュニケーション」とします。

自分磨きの楽しさ

ソシャゲと同じく恋愛にも「育成要素」があります。自分磨きですね。たまに自分じゃなくて彼女とか彼氏を育てようとする調教師みたいな人もいますけど、それは置いときましょう。

普通彼女が欲しい人って、筋トレなりオシャレなりナンパなり何らかの努力をしているはずで、その努力はゲームに例えればレベル上げだったり素材集めだったりに該当するわけです。

「俺はオシャレなんかしたって楽しくない! ユニクロでジーパン買う金で10連引ける!」って思った方、騙されたと思って一回オシャレでも筋トレでもしてみてください。オシャレや筋トレをしてモテるかは保証しませんが、楽しいのは保証しますから。

レベル上げって「強くなりたい」という目的のもとに行うものですが、レベル上げばかりやってるうちにレベル上げそのものが楽しくなってきた経験ってありませんか? 自分磨きも同じで、続けてるとに手段が目的化して楽しくなってくるんですよ。

特に筋トレなんて続けてさえいれば確実に成果がでます(モテるとかでなく筋肉がつくという意味でね)から、ドラクエでスライム倒す気分で腕立てでも腹筋でもしてみましょう。

スケベ心

次はスケベ心の話ですが、もう説明不要ですよね? 彼女(彼氏)できたら嬉しいに決まってますもんね。

ガチャを引くように恋をしよう

ネットでモテハウツーを検索すると大抵「心理学に基づいたモテテク!」みたいページが出てきますけど、彼女を作るのに一番確実な方法って「できるだけ多くの女性とコミュニケーションをとる」ことじゃないですか。

別にぼくはモテてませんけど、「100人の女性と100回デートに行った男」と「1人の相手と1回デートに行った男」では前者のほうが彼女ができる可能性が高いのはわかります。これは心理学がどうとかいう胡散臭い話じゃなくて試行回数の理屈です。

ソシャゲで欲しいキャラ当てるのに何回ガチャ引きますか? ゲームによりけりですけど、SSRとかURって数パーセントの確率でしか当たりませんよね。

SSRが当たらない!」とか言う前にガチャもっと引いてみましょうよ。単発でSSR当てられるのは運の強い人(イケメン)に限りますよ。

モテない女は罪である

モテない女は罪である

 

 

恋愛はソシャゲだ!

というわけで、ここ数日考えていたことをつらつらと書いてみました。まあ彼女作らずにゲームするのは個人の自由ですが、彼女欲しいなら現実(リアル)でレベル上げようよ、課金してガチャ引こうよと。そんな話でした。

「面白かった、もっと読みたい!」という方はtwitterフォローなり、はてブなりで反応してもらえればまたこんなエントリも書こうと思いますんで、何卒よろしくお願いします! 

以上もゆるでした。

【解説】ノーランの「ダンケルク」は予習すれば100倍楽しめる!【感想】

どうも、もゆるです。

先日別れ話をされた女性から「もう友達にも戻れない」と宣言されて、絶賛「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見た後みたいな気分になってます。

しかしながら、傷ついたハートを抱えて公開初日の「ダンケルク」を鑑賞してまいりましたので、早速解説させてもらいます!(空元気!)。

ダンケルク (ハーパーBOOKS)

目次

 あらすじ

1940年、ナチスドイツの進撃は既にフランスまで及んでおり、イギリス軍フランス軍は共にフランス北部の都市ダンケルクまで追い詰められていた。

撤退を余儀なくされたイギリスは民間の船を使用し、ダンケルクに駐在する兵士を救出する「ダイナモ作戦」を展開するが、救出を待つ兵士らの頭上には既にドイツ軍の戦闘機が迫っていた……。

3つの時系列が入り乱れる

「ノーランの映画は難解」の法則

やってくれました「ダンケルク」。

インセプション」に「インターステラ―」、「メメント」と予備知識なしでは何が何やらな映画ばかり撮ることで有名なクリストファー・ノーランがついに実話に挑戦! とのことで、「まあいくらノーランでも、実話ならわかりにくくはならないでしょ」と肩の力を抜いて劇場に足を運んだのですが……。

「やっぱりよくわからない!」

ダンケルクからドーバー海峡を渡ってイギリスに撤退する話なのは勿論わかりますよ。それで撤退するイギリス軍の視点と、救出しにくる民間人の視点と、救出作戦の援護にあたる英国空軍の視点が平行して語られるのも理解できます。

でもどうしても一時間くらい経ったあたりから画面上で起きていることが飲み込めなくなってきてしまう。

映像も強烈で、音も味があって、めちゃくちゃ面白いんだけれど……状況がイマイチはっきりしない。

もやもやした頭で映画館を出たぼくはすぐに家に帰ってパソコンを開きました。

ダンケルク」 検索

編集で生み出された時間的なウソ

ダンケルク」は撤退する兵士、救出に向かう民間人、護衛する空軍の3つの視点が同時進行で語られる映画だと書きましたが、(天下のグーグル先生によると)この3つの視点は映画では同時進行で語られているけれども、実際は時間的にかなりのズレがあるんですね。

ダンケルク」で登場人物たちのとる行動を編集された状態から未編集の状態に戻すとこうなります。

英・仏軍、ダンケルクから撤退開始→6日後、ダイナモ作戦が展開されイギリスから民間船が救助に向かう→さらに23時間後、イギリス空軍が救助船の援護のため出撃

はい、実は現実の時系列では同時進行じゃなかったんですね。3つの勢力が同時進行で動いてるのは一週間の間最後の1時間だけだった、と。

クリストファー・ノーランはなんとかしてこの流れを映画的に面白く見せるために、あたかも3つの視点が同時進行で動いているように見える編集をしたのでしょう。さすが事件の終わりから事件の始まりに向かって進んでいく映画を撮った監督です。

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 一応字幕で「1hour」とか「1week」とか出てましたけど、あれで時系列がいじられてるって気づける人いるんですかね……。

ダンケルク」、IMAXで見るか MX4Dで見るか

IMAX大好きおじさんクリストファー・ノーラン

これは「ダンケルク」について書かれたページなら猫も杓子も言ってる話ですが、IMAX大好きなノーランは今回もIMAXカメラ&フィルムで「ダンケルク」を撮影しているので、鑑賞はIMAX推奨です。とにかく映像(音もですが)にこだわって撮られた映画で、開幕1ショット目から腰が抜けそうなほどド迫力なので、迷ったらIMAX!

MX4D(4DX)も相性良さげ

これは経験則なのですが、MX4Dは「乗り物に乗る」映画ととにかく相性が良いんです。「マッドマックス 怒りのデスロード」然り、「マッドマックス 怒りのデスロード <ブラック&クローム>エディション」然り。

そして「ダンケルク」は多くのシーンが、登場人物が船か飛行機に乗っているシーン。しかも手堅い歴史もの映画に見せかけて上映時間短めの「最初からアクション全開」な映画なので、MX4Dで見ればエキサイティングなのは間違いなし! 

既にIMAXで鑑賞済みの方も、一回見ただけでは内容が理解できなかった方も、ぜひMX4Dをお試しあれ。

すごいよクリストファー・ノーラン

またしてもノーランにしてやられたと言いましょうか、この人いつもいつも頭使わないと理解できない映画ばっかりじゃないですか。

なんでも「ダンケルク」は既に世界興行収入が3億ドル越えらしいですが、アメリカ人はこの内容一発で読み取れるんでしょうかね。それとも読み取れなかったぼくがバカなだけなんですかね。

高価なIMAXカメラ使って、CGは極力使わない宣言して本物の戦闘機や船用意して、「バカには伝わらなくていい」的な映画を取れるノーランの肝の据わり方、見習いたいものです。

 

さてまだまだ書き足りないのですが、「ダンケルク」についてはもう一回見に行って色々調べたうえでもう一本記事を書こうと思っているので、今日はこの辺にしておきます。以上もゆるでした。

 

 

ps.映画館でCM中に女の子のこと思い出して落ち込んでるヤツがいたら多分ぼくなので慰めてやってください。

【北野武】全作品解説「ソナチネ」【感想と考察】

どうも、もゆるです。最近またフラれました。

さて、それはともかく今日紹介するのは北野武監督4作目にして、最高傑作と名高い「ソナチネ」。

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目次

 概要

北野武最高傑作のはずが……

北野映画が大好きないわゆるキタニストと言われる皆さんに「たけしの映画でどれが好きですか?」と聞くと、まあ大抵の場合答えは「ソナチネ」と返ってきます(当社比)。

僕はどちらかと言えば「3-4x10月」の方が好みではありますが、確かに「ソナチネ」は最高傑作と言われても文句のないクオリティの作品です。

批評家からの評価も公開当時から高く、じゃあ気になる興行収入の方はというと……残念ながら惨敗。

ソナチネ」の一作前の「あの夏、一番静かな海。」も同じく批評家ウケしたものの興行は失敗に終わっていて、その際怒ったビートたけし

どいつもこいつもガン首揃えて俺の映画を褒めてくれたんだぜ。あの淀川さんだって『たけしが好きになった』っていってくれたし、おすぎにしても誰にしてもいい映画だっていったじゃない。おまけに「日本映画ペンクラブ」が推薦映画にしてくれたらしいんだけど、“へ″の突っ張りにもなりゃあしない。そんな推薦なんかいらねーぞ、チクショー!

          『映画評論・入門 観る、読む、書く』モルモット吉田内の引用から

と発言しています。うーん、映画ブログなんてやってる身からすれば実に耳に痛い話です。

ま、そんな話は置いといて中身行きましょう中身。

あらすじ

※〇〇組組長▽▽とか書いてると非常に読みづらい文章になるので単純化してお伝えします。

上司のヤクザ「おい村川(ビートたけし)、沖縄でちょっと揉め事が起きてるみたいだから何人か手下連れて行って抗争終わらせてきてくれねぇか」

村川(ビートたけし)「なんだよ、めんどくせぇ。オイラいい加減ヤクザやんなっちゃったぜ」

上司のヤクザ「そんな事言わないで、行くだけでいいから」

一同沖縄へ

村川「おい! 行くだけでいいって話じゃなかったのか! 来た途端組員撃たれて死んじまったじゃねぇか、バカヤロー」

村川「仕方ねぇ騒ぎが収まるまで沖縄で隠居してるか」

村川と愉快なヤクザ達の夏休みが幕を開ける……!

コント「ヤクザの夏休み」

ソナチネ」、パッケージの銛に刺されたナポレオンフィッシュが不気味でいかにもバイオレンスたっぷりの怖い映画に思えますが、「アウトレイジ ビヨンド」みたいに自分の指噛みちぎったり、ドリルで頭に穴開けたりはしないのでご安心を。

むしろ「ソナチネ」の半分は「ほのぼの」で構成されています。ヤクザが沖縄まで来たけどやる事もないから遊ぶ。花火したり、紙相撲したり、落とし穴作ったり、普段は強面のヤクザが無邪気に遊んでいるギャップが笑えるんですね。

光と闇のコントラスト

人間紙相撲に代表される昼のシーン

北野武の映画では海や空を透き通った真っ青に撮るため、北野映画を語る時よく「キタノブルー」という言葉が使われます。そして「ソナチネ」もとにかく青が画面に映えて美しい。

昼間の太陽が輝いているシーンの空はとにかくすがすがしい青で、その青をバックに赤やら緑のカラフルなアロハを着たヤクザがぽつぽつと映っているのが、これまたいい。

特に寺島進勝村政信が人間紙相撲をするシーンは格別で、このシーンはストーリー上何の必要性もないにもかかわらず有名な場面です。


ソナチネ Play on the sands - 久石譲

全てが濃紺に染まる夜

昼間のすがすがしい青と対比するように配置されるのが、夜のシーン。ナイトシーンは昼のシーンに比べると目立たないので印象に残っていないかもしれませんが、注意して見てみると「ソナチネ」には昼のシーンにも劣らぬくらいナイトシーンが入っているのがわかります。

このナイトシーンの色味もまた魅力的で、昼のシーンと同じく青みがかっているので画面全体が濃紺に染まっているんですね。その濃紺が沖縄の自然と相まってもうそれはそれは神秘的で、なんとも哀れなんですね(淀川風)。

細かく演出されたキャラクター

北野映画ではたけし軍団や邦画の大御所など監督のお気に入り俳優が繰り返してキャスティングされる傾向がありますが、「ソナチネ」も寺島進大杉漣などいつもの面々が登場しています。彼らの演じるヤクザはヤクザらしくもありながら愛嬌があって、見れば見るほど北野武って本当に役者を立てるのが上手い監督だと実感させられます。

寺島進

寺島進の演じる村川の部下ケンは初めはいかにも堅物というか、何故かどのショットでもいつも真正面を向いて表情を動かさず(つまりずっと真顔)黙ったまま。真顔なんか映してどうすんだ、と思うかもしれませんが寺島進は強面だから、これが意外と真顔でも画が持つんです。

そして沖縄で勝村政信演じる良治と仲良くなってくると表情もほぐれてきて途端に饒舌になります。寺島進は黙らせればカッコよくて、喋らせるとオモシロい。北野映画のマスターピースですよ。

寺島進のアニキに聞けよ!―困ったときはいつでも来い!

寺島進のアニキに聞けよ!―困ったときはいつでも来い!

 

 

大杉漣

村川の部下の中でもう一人目立つのが大杉漣演じる片桐。村川に対してはやたらと礼儀正しく、村川ら他のヤクザがスーツを着崩すのに対して片桐だけはフォーマルな着こなしで胸ポケットにはポケットチーフまで。

けれども片桐はキレると怖いタイプのようで、冒頭から「ヤクザなめてんじゃねぇぞ! 攫っちまうぞ!」と迫真の怒号を見せてくれます。あれですね、学校で怒られて一番おっかないのは普段優しい先生っていう、あれ。

現場者―300の顔をもつ男

現場者―300の顔をもつ男

 

 

北野映画のつくりかた 

形骸化したストーリー

 当たり前の話ですが、普通映画にはストーリーがあります。例えば「スターウォーズ ep4」は「ルーク・スカイウォーカーが自らの使命に目覚めて、大量破壊兵器デススターを破壊する」というストーリーがあります。またストーリーにはほとんどの場合「目的」があって、エピソード4なら目的は「デススターの破壊」ですよね。

ところが北野映画はぶっつけ本番でどんどん脚本を変更していく撮影法も関係してか、「ストーリーの目的」と呼べるものがほとんど無いに等しいんですね。

「ソネチネ」の主人公村川は抗争を手打ちにするために沖縄に送り込まれますが(目的)、実際に沖縄へ行くと手打ちどころか抗争が激化していてどうしようもない。そして「ストーリー上の目的」を達成できなくなった村川たちは、とうとう沖縄の浜辺で暇を潰し始める、と。ストーリーが途中で横滑りしてあらぬ方向に行っちゃってます。

ソナチネ」のストーリーをスターウォーズに置き換えてみると「ルークはデススター破壊のためデススター潜入を試みるがあえなく失敗、仕方なくルーク一行はナブーでひと夏のバカンスを楽しむ(その後ハン・ソロやチューイを帝国に殺されたルークが一人で帝国軍を滅ぼす)」という感じでしょうか。めちゃくちゃですね、だって「ソナチネ」のストーリーもめちゃくちゃですもの。

 

コントだからストーリーがない

ビートたけし浅草フランス座での芸人下積み時代にストリップショーの幕間でひたすらコント の実践を積んできたわけですが、このフランス座での経験は明らかに北野の映画作りに生かされています。

コントと漫才は混同しがちですが、コントの特徴は「劇」であること。芸人がそれぞれ警察官なりヤクザなりを演じて状況を演出し笑いを撮るのがコントです。つまりコントはお芝居ですから、コントの技術・演出力は映画の作劇にも生かされるはずです。

北野映画は突き詰めれば、ショートコントを繋げて繋げて一時間半程度にまとめ上げたものです。北野映画のストーリー性が希薄なのは、コントにはストーリー性も、ストーリー上で達成すべき目的もないからなんですね。

 

 

さて長くなりましたので今回はこのあたりにしておきます。「ソナチネ」もBlu-ray出るので、キタニストのみなさんはマストバイ。

 

ソナチネ [Blu-ray]

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【北野武】全作品解説「その男、凶暴につき」【感想と考察】

どうも、もゆるです。

不思議なもので一度落ちた更新頻度ってなかなか戻せないものですね。

それはともかく10月の「アウトレイジ 最終章」に向けてちゃっちゃと北野映画の解説を進めていきます。

今日取り上げるのは北野武の処女作「その男、凶暴につき

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目次

概要

ビートたけしから北野武

記念すべき北野武監督の一作目の映画「その男、凶暴につき」。

この映画、元々は「仁義なき戦い」や「バトル・ロワイヤル」の深作欣二が監督を勤める予定で、ビートたけしはあくまでも主演でのキャスティングだったというのは有名な話です。

作監督のスケジュールの都合でビートたけしにメガホンが回ってくるという偶然によって、監督北野武は誕生したのですね。

北野の作家性が凝縮された作品

「処女作にはその作家の全てがある」とはよく聞く話ですが、「その男」には以降の北野作品で頻出する要素がしっかりと入っています。

具体的には「沈黙」、「死」、「ヤクザ」、「暴力」、そして「笑い」ですね。言ってしまえば北野は処女作以降何度も「その男」を作り直していると言ってもいい。それほどまでに「その男」には監督北野の作家性が凝縮されています。

大幅な脚本の変更

その男、凶暴につき」では北野武はまだ監督・主演しか(監督・主演を「しか」と言うのもどうかと思いますが)勤めていませんでした。編集や脚本は他のスタッフが担当していたんですね。

しかし、実は「その男」では北野が撮影中に脚本を変更につぐ変更で改稿しまくり、結果的に野沢尚の書いた元の脚本からかなり離れた作品になっているようです。

なんでも監督が当日の撮影分の脚本をいきなり変更するもんだから、スタッフが撮影現場の近くの会社でコピー機を借りて新しい台本を刷ったりしていたんだとか。

その辺の撮影時のウラ話が気になる人は是非『監督たけし 北野組全記録』をご覧ください。

監督たけし―北野組全記録

監督たけし―北野組全記録

 

 

あらすじ

中年刑事の我妻(ビートたけし)はなにかと暴力沙汰ばかり起こす署内でもいわくつきの問題刑事。

新人刑事の菊地(芦川誠)と共に麻薬がらみの殺人事件を追う我妻だが、事件の根は想像以上に深く、警察側からも死傷者が出るほどの騒ぎへと発展していく。

持ち前の凶暴さを抑えられない我妻は如何に事件の決着をつけるのか。

めちゃめちゃ怖くした『こち亀

その男、凶暴につき」がどんな映画か、一行で書くとしたら「常識外れな警官がめちゃくちゃやる話」といったところでしょうか。

我妻はまさに映画のタイトル通り、相手が学生だろうが平気で暴力を振るう凶暴な男です。けれども彼は凶暴なだけではなくて、たまにジョークを言う愉快なおじさんでもある。

この映画は北野作品の中でも特に緊張が持続する作品ではあるものの、それでもちょくちょくコントのような演出が出てきます。犯人を車で追ってたら我妻が車の操作を間違えてワイパーが動いちゃって「なんだコノヤロッ、なんだコノヤロー!」とか言い出したり…(ちなみにこれは本当ににたけしが操作を間違えてあたふたしているカットを面白いから採用したんだそう)

存在感を放つ沈黙

※ここから若干ネタバレが入るので気になる方は注意

北野映画最大の特徴とも言えるのが、限界まで押さえられたセリフの量。

特に「その男、凶暴につき」では刑事を辞めて以降、我妻は一切言葉を発さなくなります。役者が無言になることでこの映画には独特の迫力が生まれていますが、実は北野映画における沈黙はこんな理由から生まれたんですね。

「我妻やってるときも、次のカットが気になってしょうがないんだよな。だから役作りもなにもあったもんじゃない。ただやってるって感じになっちゃってさ。だめだよ、ありゃ。だから我妻の台詞もほとんどなくしちゃってさ、ただオレが大変だからって理由だけなんだけど、逆に迫力出ちゃったね、~以下省略」

              『監督たけし 北野組全記録』 佐々木桂

要約すると、「監督と役者を一緒にやると大変だったから役者分の負担を減らすためにセリフを減らしたら逆に迫力が出た」てな感じでしょうか。

セリフが少ないからこそ演技が自然になり、それによって役者が持っている本来の魅力・迫力が引き出される。北野作品の沈黙は役者を引き立てる最高のスパイスです。

日本版「ダーティーハリー」

『監督たけし 北野組全記録』のプロローグにはこう記されています。

その男、凶暴につき』の撮影台本は灰色の表紙だが、その前に二つの台本があった。

白い台本と黄色の台本。

白い台本を見ると、そこには監督として深作欣二さんの名が刷り込まれている。主演はビートたけし。その映画は『ダーティーハリー』の日本版ともいうべき、大アクション映画になるはずだった。

 この文章を書いたのは佐々木桂なので、脚本の野沢尚や監督を予定されていた深作欣二がそれを想定していたかはわかりませんが、もともと「その男」は日本版「ダーティーハリー」になるはずだったんです。

いや、アクション映画ではないという点さえ目を瞑れば「その男、凶暴につき」は「ダーティーハリー」と相当近い映画になっています。

既存の法律に縛られない刑事が凶悪な殺人犯を捕まえようと奔走し、一度は捕まえるものの逃げられ、最終的に主人公が刑事を辞めて個人として犯人を殺す。「ダーティーハリー」も「その男」も単純化してしまえばストーリーは同じです。

また我妻がでっち上げ別件逮捕で清弘(白竜)を警察署に拘留した後のシーンで、我妻がわざと清弘の手の届く場所にナイフを置いておき、清弘がナイフを手に取ったら銃殺するという作戦を実行しますが、これはもう間違いなく「ダーティーハリー」のオマージュでしょう。

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その男、天才につき

多忙な北野は「その男」撮影中も、本業であるビートたけしとしての仕事を辞めず「オールナイトニッポン」やテレビ番組に出続けていました(一週間撮影したら次の週はテレビ・ラジオ……という具合で回していた)。

専業の映画監督のように一日中映画のことばかり考えていられる状況ではなく、かつ初めての監督でここまでの傑作を作り上げた北野に相応しい言葉はもう「天才」しかないでしょう。

テレビで見るビートたけししか知らないあなたも、そもそもテレビも見ないからビートたけしに興味のないあなたも、とにかく北野武の映画を見てください。面白い事は保証します。

ちなみに「アウトレイジ 最終章」の公開に乗じてか、北野武作品が続々とブルーレイになってますので、是非!

 

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【北野武】全作品解説part1~「キッズ・リターン」~【感想と考察】

どうも、もゆるです。

いきなりですが「アウトレイジ 最終章」の公開に先立ち、これから数回に渡って北野武監督作品を一作品づつ紹介していきます。順不同になりますがキチンと全作品について書くのでどうかお付き合いください。

それでは第一回は北野武のバイク事故からの復帰以降初めての作品であるキッズ・リターン」(96)です。

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目次

 あらすじ

不良高校生のマサル(金子賢)とシンジ(安藤政信)は授業にも出ず、毎日カツアゲをしたり喫茶店でダベったりと自堕落な生活を送っていた。ある日一念発起してボクシングを始めたマサルだが、才能を見出されたのはむしろ付き合いでジムに来たシンジの方だった。

自信を失いボクシングを辞めヤクザになったマサル、そしてボクサーとして着々と成長しつつあるシンジ。二人の青春の行く末は……

北野映画未経験の人にオススメ

北野映画と言えば「ソナチネ」や「アウトレイジ」のような極道モノのイメージが強いかもしれませんが、キッズ・リターン」は高校生を主人公にした青春もので、極端な暴力シーンや意味のわかりにくい描写はそこまで出てきません。

ですが同時にこの映画にはカメラワークやカットの割り方、主人公の性格など北野武の作家性が強く出ています。だから「北野武の映画ってどれから観たらいいの?」と聞かれたら僕は迷わず「キッズ・リターン」をオススメします。例えるなら「本格中華が食べてみたいけど辛いのは苦手」という人に薦められる辛さ控えめの中華屋といった感じでしょうか。

ストーリーはあってないようなもので、主人公はシンジとマサルという名前の二人の不良高校生。シンジは北野映画の主人公にありがちな無口な男で、そのシンジの兄貴分が「マーちゃん」ことマサルです。

高校卒業後、ひょんなことからシンジはボクサーにマサルはヤクザの道に進んで二人は袂を分かちます。二人はそれぞれ自分の道を突き進んでいくのですが、そう上手くいくはずもなく……というのがおおよそのあらすじですが、あらすじだけでは北野映画の面白さは図り切れません。

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徹底して映像で語る

映像で語るとは?

映画作りのセオリーのひとつに「映像で伝えられることは映像で伝えるべき」というものがあります。「見た目は子供、頭脳は大人、その名も名探偵〇〇ン」みたいにセリフで登場人物の設定や状況を紹介してしまうと、どうしてもダサくなってしまいます(〇〇ンは漫画・アニメなので成立しますが)。

そして映像で映画を語ることを率先してやっている監督がまさに北野武その人。キッズ・リターン」を見てみてください、とにかく映像で語るのが上手い。

例えばこの映画、冒頭にシンジとマサルが校庭で自転車に二人乗りする有名なショットがありますが、授業中に校庭で二人乗りしてる映像を見せるだけで観客には二人がどのような関係でどのような学生なのかが一瞬で伝わります。そして映像で状況と設定を語った以上、もはや言葉による説明は蛇足にしかなりません。北野映画の登場人物が異様なほど寡黙で、沈黙のショットが多いのはセリフによる説明を徹底的に排除して映像で語っているからなんです。

映像で張られた伏線を読み解く快感

キッズ・リターン」には映像で張られた伏線が無数に散らばっています。本作は一度だけでなく二度三度と見返して貰いたい映画で、見返すと映画あちこちにその後の展開を仄めかすヒントが配置してあるんです。

例えばシンジはジムでボクシングの反則技を覚えることになりますが、実は彼が反則を教えられる少し前のシーンで、他のボクサーがジムでその反則技を練習している姿が映し出されています。このように映像表現による伏線を用いて段階的に語っていくことで、映画はより地に足のついた説得力のあるものとなっていきます。

もうこの映画一本見るだけで北野武という監督がいかにクレバーで、いかに計算づくで映画を撮ってるか一目瞭然ですよ。芸能人が片手間で撮った映画だと思ってナメてる人がいるかもしれませんが、北野武の映画はどう見ても「本物」です。

若者の心理を見抜く力

監督本人もインタビューで発言していることですが、この映画には「登場人物の両親や家庭が一切出てこない」という特徴があります。「キッズ・リターン」にはマサルの家の玄関が数回出てくるだけで、あとはもうどの登場人物の親も家族も出てきません。

親と子の断絶は北野映画ではそこそこ出てくるテーマです。例を挙げれば菊次郎の夏では小学生の男の子が菊次郎(ビートたけし)とひと夏の思い出を作る映画ですが、菊次郎は男の子の父親ではありません。男の子は親に捨てられておばあちゃんに引き取られているという設定なんですね。また北野武監督作品ではないものの、出演作であり北野と交流のある深作欣二バトル・ロワイヤルも親世代と子供世代の分離を描いた作品と言うことができます。

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ライトノベルによく見られる親と子の断絶

登場人物の両親が登場しない、といえばゼロ年代以降急速にその勢いを伸ばした「涼宮ハルヒの憂鬱」や「とある魔術の禁書目録」に代表されるライトノベルの作品群では主人公の両親が登場しなかったり、あるいは登場しても影が薄かったりする傾向が顕著です。

ゼロ年代以降にラノベ・アニメ畑で加速する親と子の断絶を、96年という早い段階で察知して映画内に仕込んでいた北野監督の感覚はさすがとしか言えません。

なぜシンジはダメになってしまったのか

※ここから映画の後半の場面に言及するのでネタバレ注意

親と子の断絶というテーマを踏まえて「キッズ・リターン」を見ると、なぜシンジがモロ師岡演じるダメボクサー林に付け込まれてボクシング引退まで追い込まれたかが見えてきます。

シンジには主体性がありません。ボクシングもマサルに勧められたからなんとなく始めただけですし、マサルが辞めるた時には連れだって辞めようとしていました。彼には自分が何をしたいかがわかっていないんですね。

主体性がない以上、シンジは自らの行動の規範となる人物を必要とします。だからシンジはマサルを兄貴分として慕いいつも一緒にいました。落ちこぼれで親にも教師にも相手にされないシンジにとって唯一自分の傍にいてくれるのがマサルだったわけです。だからシンジはマサルがどんなにダメな人間で、カツアゲしていても酒を飲んでいても付き合い続けていたのでしょう。

ところがヤクザになったマサルはシンジの前から消えてしまい、一人では生きられないシンジはすがるように林に依存していきます。ジムのトレーナーや会長を慕って付いていくことはシンジにはできませんでした。その理由はトレーナーや会長はシンジを、「強いボクサーという」条件付きでしか承認してくれないからではないでしょうか。マサルや林は、シンジがどんな状態の時でも常に彼を承認してくれる存在です。

 

シンジは自分をリードしてくれて、かつ無条件で承認してくれる人物……つまり親代わりの存在を求めたがために堕落の道を歩んでしまった。以上が僕なりの「キッズ・リターン」の読み方です。

 

「まだ始まっちゃいねぇよ」

「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」

「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」

キッズ・リターン」ラストのこのセリフは、希望ともとれれば絶望ともとれる名台詞です。ぼく自身は「まだ始まったばかりだよ」ではなく、「まだ始まっちゃいねぇよ」である点がこのセリフのミソだと思っていて、高校を卒業して尚スタート地点に立つことすらできず、かつその事実をポジティブに受け止めてしまうマサルにはどうしてもマイナスのイメージを抱いてしまいます。

 

あなたはこのラストのセリフについてどう考えますか?

ご意見・ご感想のある方はぜひコメント欄やtwitterなどに一言くだされば幸いです。

以上もゆるでした。

なぜ「スパイダーマン:ホームカミング」のスパイダーマンはこんなにダサいのか?【ネタバレ無】

権利問題で長らくMCUに参加できないでいたスパイダーマンが満を持してようやくMCUに主演デビュー!……のはずが、今回のスパイダーマンはとにかくダサい? 

目次

映画 スパイダーマン ホームカミング ポスター 42x30cm SPIDER-MAN HOMECOMING マーベル アベンジャーズ アイアンマン トニー スターク トム ホランド ロバート ダウニー Jr マイケル キートン

 あらすじ

超人的な跳躍力や腕力を持つ少年ピーター・パーカーことスパイダーマンは、トニー・スタークから授かったスーツに身を包み、街の平和を守ろうと自警活動を続けていた。

活躍しようと張り切るピーターだが空回りばかり。そんな彼の前にトニーに恨みを持つ男バルチャーが現れ、宇宙人やウルトロンの武器の残骸を改造し武装したバルチャーにピーターはたった一人で立ち向かうことになるのだが……。

今までで一番ダサいスパイダーマン

これまでにスパイダーマンは、2002年のサム・ライミ版、2012年のマーク・ウェブ版と複数回に渡って映像化されてきましたが、今回のピーター・パーカー=スパイダーマンは過去のどのスパイダーマンよりもダサく描かれています。

スパイダーマン 東映TVシリーズ DVD-BOX

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 こっそり窓から自分の部屋に戻ったら中に友達がいてあっさり正体がバレたり、善良な市民を犯罪者と勘違いして糸を飛ばしたり、銀行強盗を捕まえようとするも失敗してあわや死人を出しかけたり……とにかく「ホームカミング」では初めから終わりまでピーターは失敗続き。予告で出てくる「真っ二つに割れたフェリーを繋げようとするけど上手くいかず結局アイアンマンに助けてもらう」シーンなんてまさに今作のダメダメスパイダーマンを象徴しています。

なぜ「ホームカミング」のピーター=スパイディーはここまでダサいのでしょうか? 過去のスパイダーマンや他のヒーロー映画と比較しながら考察してみます。

ダメなオタクがダメなままヒーローになる「キック・アス

今回のスパイダーマンと非常に類似点の多い映画がマシュー・ボーンの「キック・アス」です。

キック・アス」の主人公はアメコミヒーローが大好きなオタク少年デイヴ・リズースキー。デイヴは通販で買った傾向グリーンの衣装を着て町に蔓延る悪と戦いますが、彼は手首から糸も出なければ空も飛べません。唯一の取柄は末端神経の麻痺で痛覚が普通の人より鈍いことだけ。

キック・アスと名乗ったデイヴはリンチされていた男性を助けようとしますが、何せ一般人以下の力しかない彼ではとても暴漢は打ち倒せまん。ただあまりにもキック・アスが必死になったためか暴漢もリンチをやめて逃げ出し、その映像の録画がyoutubeにアップされてキック・アスはたちまちヒーローとして扱われるようになった……というのが映画の発端の部分になります。

身体的には一般人のデイヴがなぜヒーロー足りえるか? それは彼がやろうと思えば誰にでもできるけれど誰もやらなかった命がけの人助けを行ったからに他なりません。

「3人がかりで1人をリンチ、みんなはただ黙って見てる。僕にはそれが許せないんだ」-キックアス

確かにデイヴはただのボンクラオタクにしか過ぎませんが、彼のとった行動は彼にしかできない行動でした。

「主人公がヒーローに憧れてヒーローになろうとするオタクである」、「主人公は空回りしながらも努力し続ける」点で「キック・アス」は「スパイダーマン:ホームカミング」と非常に類似しています。今回のスパイダーマンが制作の段階で「キック・アス」から影響を受けている可能性も否定できません。

ベンおじさんの不在

スパイダーマン」と「アメイジングスパイダーマン」を今回の「スパイダーマン:ホームカミング」と比較したとき、まず目につくのがベンおじさんの不在です。

サム・ライミ版でもマーク・ウェブ版でもベンおじさんはピーターの逃がした犯罪者に殺されてしまうのですが、彼の死はピーターがスパイダーマンになるきっかけになります。自分のせいでおじさんが死んでしまった責任感や罪悪感から、ピーターはヒーローとしての「大いなる責任」を自覚するわけです。

しかし「ホームカミング」では、設定でこそベンおじさんは死んだことになっていても劇中でおじさんの死が描かれていません。

スパイダーマン (字幕版)
 

 

ヒーローと通過儀礼

アメコミ映画でそれまでただの人間だった主人公がヒーローになるには、多くの場合主人公になんらかの通過儀礼が課せられます。

たとえば「アイアンマン」では、傲慢で未熟だったトニー・スタークはテロリストに拉致されるという試練を課せられ、そこで自分の会社の武器がテロリストの手に渡っている事実を知り改心します。そしてトニーは自分にしか使えない武器である鋼鉄のスーツを開発しアイアンマンとなるのです。

同じく、「スパイダーマン」「アメイジングスパイダーマン」ではピーターはベンの死という通過儀礼を通してスパイダーマンスーツを身に纏うようになりました。

ですが「ホームカミング」のピーターはどうでしょう? 少なくとも劇中ではピーターは何の通過儀礼も終えておらず始めからスパイダーマンです。

未熟な若者は通過儀礼を通して一人前になりますが、逆を言えば通過儀礼を終えていない今回のピーター=スパイダーマンはスーツを着ていてもまだまだ未熟なヒーロー見習いなのです。だから「ホームカミング」のスパイダーマンは過去にないほど失敗続きでダサかったんですね。

 

ピーターの動機の変化

スパイダーマン」や「アメイジングスパイダーマン」ではピーターは「悪人を捕まえて街に平和をもたらす」「自身に与えられた力の責任を果たす」のような動機でスパイダーマンとなって活動します。

では「ホームカミング」でピーターがスパイダーマンになる理由はなんでしょうか?

もちろん今回のピーターだって正義感を持ち合わせた人物ですが、映画前半での彼の動機は「一人前のヒーローとして認められたい」といういかにも少年らしい承認欲求に違いありません。でも「認められたい」なんて思っているうちは認めてもらえないもの。彼の自警活動は空回りを続けます。

そんな未熟なスパイダーマンですが、映画が進むにつれて徐々に彼の動機は利己的な「認められたい」から利他的な「この人たちを助けなければならない」へと変化していきます 。

まさしくこの成長こそが「スパイダーマン:ホームカミング」のテーマです。

他のヒーローは通過儀礼を終えることでヒーローになりスーツを着るのに対し、今回のスパイディーはスーツを着てから通過儀礼に挑む、まさに本作はスパイダーマンの「補助輪外し」の物語なのです。

 

以上もゆるでした。ダサいダサいと連呼してしまいましたが映画自体はむしろバリバリスタイリッシュなので是非ご鑑賞あれ。

「スパイダーマン:ホームカミング」に学ぶマーベルの絶対に外さないものづくりの法則

2008年の「アイアンマン」から自社スタジオ独自で映画製作を始め、今やハリウッド大予算映画の代名詞となったマーベル映画。

ピクサーと並んでハズレのない名作続きのマーベル実写映画はどのような思考で作られているのでしょうか?

スパイダーマン:ホームカミング」で再確認したマーベルスタジオの外さない映画作りについて考えてみましょう。

アメイジング・スパイダーマン (字幕版)

目次

大前提:マーベル・スタジオは映画を外せない

マーベルが制作しているような予算数億ドル越えの大予算映画が俗に「ブロックバスター映画」と呼ばれているのはご存じでしょうか。マーベルの実写作品はCGや大規模セットを多用しており、キャスティングも実に豪華で、そのため毎回数億ドルもの予算で映画を制作しているのです。例えば「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」の制作予算は約2億5千万ドルhttp://www.boxofficemojo.com/movies/?id=marvel2016.htm)。2億5千万ドルあれば「君の名は。」が20本以上作れますね。

これだけの予算をかけて興行がズッコけようものなら関係者の首は「キングスマン」のあのシーンの如く飛びまくること間違いありません。

だからマーベル・スタジオは可能な限り興行的失敗のリスクを減らすような映画作りを心がけているはずです。彼らがどのように「外さないものづくり」をしているか考えてみましょう。

狙うは「大衆」

映画興行で最重要とも言えるポイントは「普段映画を見に来ない人にも見てもらう」ことにあります。大ヒット映画とは「年に数回しか映画を見ない人が見に行った映画」と同義なのです。

 映画ブログなんてやってる映画鑑賞が趣味の暇人は宣伝なんてしなくても勝手に劇場に湧いてきます。だから映画に興味のない層に向けたアピールに映画会社は必死になるんですね(洋画のタイトルをやたらとダサくし変えたり、ポスターを過剰なまでにダサくわかりやすくしたり)。

1人の映画マニアに4回見てもらえるような映画よりも、4人家族に1回見てもらえる映画のほうがずっと作りやすいと思いませんか?

 

 大衆は「バカ」である

「ブレイクするっていうのはバカに見つかること」と言ったのは有吉弘行ですが、この言葉は映画を始めとして様々な業界で通用する至言です。大衆を下に見ているように聞こえるかもしれませんが、この発言は「コンテンツが多くの人の目に触れる場合、そのコンテンツについてよく知らない(=リテラシーの低い)人がかなりの割合でいる」という風にも読むことができます。

少し抽象的になったので具体的な話で説明しましょう。例えば「スパイダーマン:ホームカミング」を劇場に見に来た人の内、はたして何割が「アベンジャーズ」や「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」などの以前の作品を見たことがあるでしょうか? もちろんそれらの作品群を見ている人は多いはずです。でも中には当然いきなり「ホームカミング」を見に来たという人もいるはずですよね。

スパイダーマン:ホームカミング」の制作陣は、アイアンマンやキャプテン・アメリカについて観客が十分な予備情報を持っていない可能性を考慮して映画を作ったに違いありません。実際予備知識なしで見ても本作は十分に楽しむことができるようになっています。

実に当たり前な話ですが、大衆ウケを狙うには誰でもわかるように作ることが非常に重要になってくるのです。

誰が見ても80点のクオリティを目指す

映画を点数付けするのはあまり好きではないのですが、私がマーベルの作品を点数付けするとしたら、そのどれもが80点前後の出来に思えます。

80点の映画とは言い換えれば「確かに面白い映画だけれども、今年一番ってほどでもない」と言いたくなる評価です。実際マーベルスタジオの作品は、興行成績こそ素晴らしいもののアカデミー賞などの賞レースではあまり見かけることがありません。

批評家やマニアから絶賛を受けた作品が大衆から評価されるとは限りません。そして賞レースでは批評家の票が大きな力を持っていても、興行においては批評家も一般人も同じ1800円の映画料金しか払いませんから。

批評家やマニアから「くだらないエンタメ映画」と言われず、大衆を満足させるのは並大抵のことではありません。マーベルやピクサーはやろうと思えばより底の深い作品を作れるはずですが、あえて間口を広げるためにシンプルなものづくりを意識しているのではないでしょうか。

「誰が見ても80点の作品を目指す」というのは何もわざと手抜きをしろなんて意味ではありません。最善の努力を尽くし、誰からも受け入れられる作品を意識した結果もたらされるのです。

とにかくテンポを重視する

マーベル実写映画が他の映画作品と一線を画しているのは、ストーリー進行のテンポの良さです。今回の「ホームカミング」と過去のサム・ライミ版「スパイダーマン」を比較すれば物語の進む速度が圧倒的に違うのが一目瞭然です。

サム・ライミ版ではピーター・パーカーがただのオタク少年から超能力を持ったクモ人間になるまでをじっくり描いたのに対し、「ホームカミング」ではそもそも映画が始まった時点でピーターは超能力を持っています。「ホームカミング」を見る観客はアクションシーンを待ち詫びてイライラすることがありません。

テンポの早さがもたらす一番のメリットは、観客の「飽き」防止でしょう。2時間以上もの間じっとしてるのは意外と集中力を使うものですが、マーベル映画はそれこそ息もつかせぬ展開で観客を楽しませ続けます。マーベル映画は全体の傾向としてどんどんカットを割っていて長回しが少ないのですが、これは明らかにテンポを意識しているためです。

またテンポが早いと脚本や設定上の細かな矛盾点などを自然に隠蔽できるメリットもあります。観客は映画のスジについていくのが精いっぱいで、「ここの設定はさっきのアレと辻褄が合わなくない?」など重箱をつつく暇がありません。スーパーヒーローもののようなバリバリのフィクションを受け入れさせるのにテンポの良さは不可欠なのかもしれません。

 

毎回似たような作品でありながら細かな違いがある

ヒーローものには「主人公がヒーローになる(もしくは元からヒーロー)→悪役が現れて悪事を働く→ヒーローが悪役を倒す」のような暗黙の定型があります。

九割九部のヒーローもの映画はこの定型の通りに物語を進行させます。「主人公がヒーローになったけど悪役が強すぎて倒せない」なんてストーリーは斬新ですが、そんな映画を見たい人はほとんどいないでしょう。

「アイアンマン」も「キャプテン・アメリカ」も「ドクター・ストレンジ」も普通の人間が何かをきっかけに世界を守るヒーローになる英雄誕生のお話です。マーベルはヒーローが生まれる話を何回も繰り返してきました。

普通同じようなお話を何度もされれば飽きてくるものですが、少なくとも私はマーベル映画に「またこのパターンか」とため息をついたりはしません。なぜならマーベル映画では登場するヒーローによって行われるアクションの性質が全く違うからです。

「アイアンマン」なら空を飛び回りビームで豪快に敵をなぎ倒しますし、「キャプテン・アメリカ」なら格闘戦中心のアクション、「アントマン」は小さくなる能力を最大限に生かした映像で……といった風にヒーローが違う時点で同じような物語でも違った映画として成立しているのです。

またアクション以外の面でも「ドクター・ストレンジ」ではクライマックスでヴィランを倒す際にかなり特殊な方法を使ったりと、とにかくマーベルはそれぞれの作品にその作品・ヒーローにしかないアイデンティティを付与しています。

「期待に応えて、予想を裏切る」はマーベルの得意技なんですね。

まとめ

以上で書いてきた項目をざっと並べるとこうなります。

  • 儲けるには大衆ウケを狙え
  • 大衆は「バカ」(情報リテラシーが不揃い)であると知る
  • 誰が見ても80点のコンテンツを目指す
  • テンポを重視
  • 似たようなコンテンツを連発しながら、それぞれに細かな違いを作る

ここまで抽象化してしまうと一般論っぽくて少し退屈ですが、抽象化したからこそ映画製作だけでなく様々なものづくりで使えるハウツーになったということで許してください(笑)。

さて「スパイダーマン:ホームカミング」の話をあまりしていないような気もしますが今日の記事はこの辺にしておきます。また「ホームカミング」の感想記事もアップするのでお楽しみに。

以上もゆるでした。