【レビュー・感想】モンスター映画×マッドマックス=「LOGAN/ローガン」
漫画でも映画でも、長続きしたシリーズが尻切れトンボでお粗末な終わりを迎えた例は珍しくありません。
売れた作品は続編が出るのが常です。しかし、同じ題材を使いまわし続ければいずれはネタが尽きるか、飽きられるかして人気は徐々に落ちていきます。
しかし、人気が絶頂を迎えた瞬間にあえて自ら終わりを宣言するコンテンツも確かに存在します。今日紹介する「LOGAN/ローガン」は終末の美学をもってヒュー・ジャックマン=ウルヴァリンに終わりを告げた傑作です。
目次
あらすじ
突然変異によるミュータントの誕生が止まり、ミュータントが絶滅の危機に瀕している近未来。体内に埋め込まれたアダマンチウムの毒により治癒力を失いつつあるローガンは、ある日様子のおかしなメキシコ人女性から娘を預かってくれと迫られる。面倒事を避けたがるローガンだが、世話を頼まれた少女の手からアダマンチウムの爪が生えるのを目にし……。
昨今のド派手なスーパーヒーロー路線を拒否
「X-MEN: アポカリプス」に「スーサイド・スクワッド」……、最近のアメコミ実写映画で「なんだかスゴイ超能力で大都市が破壊されて、巨大な火柱が上がったり嵐が起きたりする」映像を見るたび、私はため息をついていました。
いくら映画館の巨大なスクリーンで鑑賞したって、こう何度も似たようなディザスター映像ばかり見せられては辟易します。スケールデカければいいってもんじゃありません、風呂敷広げればいいってもんじゃありません。
「ダークナイト」はほぼゴッサムシティの中だけの話が繰り広げられる、ある種スケールの小さなヒーロー映画でしたが、「ダークナイト」には見る者を否応なく興奮させる力がありました。
マーベルやDCが連発する興行的に外すことの許されない大予算映画は、制作陣の自信のなさ故にか過剰に派手な絵作りがなされているのではないでしょうか。
しかし「ローガン」の監督ジェームズ・マンゴールドは、そのような過剰な派手さやスペクタクルなCGを断固として取り入れませんでした。彼はあるインタビューでこう語っています。
「世界の命運を描くような作品だったら、サンフランシスコの破壊シーンがあったりしてバカ高い予算がかかる。でも僕が語りたかったのは、車で旅する三人の人物についての物語。あらゆる面において、観客に物語を伝えるうえで十分な予算があった。クソッタレなCGに余計なお金をかけるようなこともなかったからね」
あえて映像を派手に演出することをせず、堅実なカットの積み重ねで映画を撮る。それは監督の自信の表れでもあります。そしてジェームズ・マンゴールドは「ローガン」で、大爆発もビームもどこからともなく飛んでくるアイアンマンスーツも無くたって面白いアメコミ実写映画は撮れると証明してくれました。
ロードムービーであり、同時にモンスター映画でもある
X-MEN+マッドマックス
冒頭でローガンが住んでいるのはアメリカ-メキシコ国境沿いに位置する町エル・パソ。アメリカ南部特有の地平線まで見えるような荒涼とした大地は自ずと「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を連想させます。
実際序盤の目玉である一連のアクションシーンは、「あえて戦っている場面を見せない演出(「デス・ロード」でやった「七人の侍」オマージュのオマージュ?)」→「車での逃走劇」と、かなりマッドがマックスな感じになっていました。ミュータントのキャリバンも白塗りでウォーボーイズを彷彿とさせる風貌。またエデン(楽園)を目指して旅するストーリーもやはり「デス・ロード」を思わせます。
極端なまでにグロテスクな描写
「ローガン」はR15+の指定を受けていますが、「デッドプール」のR指定が判明した時ちょっとした話題になったように、アメコミ実写映画がR指定を受けるのはかなり珍しいことです。中学生以下が見られないとなると興行面で不利益が大きくなるので、普通はR指定を受けるほどゴアな描写なんて製作者側は撮りたくないんですね。
しかし「ローガン」に限っては最初から最後まで血と肉が飛び散りまくりの人死にまくり。明らかにR指定覚悟で作っているのがわかります。
「ローガン」はモンスター映画である
映画ジャンルとして明確に分類が為されているわけではありませんが、「モンスター映画」あるいは「モンスター・パニック映画」と呼ばれるような映画は無数に存在します。ここで私がいうモンスター映画とは、「怪物が暴れまわって人を殺したり、文明を滅茶苦茶にする映画」を指します。代表的な例を挙げるなら「ゴジラ」や「JAWS」などはモンスター映画と呼んでも反論の余地はないでしょう。
そして「ローガン」はこのモンスター映画の要素を多分に含んでいます。「ローガン」におけるモンスターとはローガンらミュータントに他なりません。承知の通りこの映画ではローガンも彼のクローンであるローラも躊躇いなく人を殺します。表面的には彼らの殺人に人間らしい逡巡は見られません。戦闘中のローガンとローラはまさにモンスターそのものです。
ウルヴァリン=狼男
また、そもそもウルヴァリンは歴史あるモンスター「狼男」をモデルとしている部分が多分にあります。名前自体が狼(wolf)の複数形wolvesのもじりになっていますし(Wolverine)、顔中に髭を蓄えた容貌も獣らしいものです。またウルヴァリンを唯一殺せる武器として劇中で何度か登場するアダマンチウムの弾丸は、吸血鬼や狼男などに有効だと言われている銀の弾丸(シルバーバレット)のイメージが重ねられているはずです。
他にもキャリバンは映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」に登場する吸血鬼そっくりで、実際劇中でも本人がセリフでノスフェラトゥ(吸血鬼)と言っています。
以上の通り、「ローガン」ではミュータントの怪物性がことさら強調されており、本作は「モンスター映画」と呼ぶにふさわしい作品です。
そして「ローガン」の魅力はモンスター映画でありながら視点が暴れ回るモンスターの側にあり、尚且つモンスターが疑似家族を形成しドラマを織りなすことです。暴力と愛情のコントラストがこの映画を今までのアメコミ実写映画史上になかった作品に昇華させているのです。
緩急の効いたシャープな脚本
この映画のストーリーには2点、まるで休憩地点のような箇所があります。ネタバレを避けるので具体的には書きませんが、映画をご覧になった方ならすぐにおわかりかと思います。
戦闘シーンもカーチェスもなく、敵が追ってくる気配もない。ただみんなで楽しく食事したり、ローガンの髭を剃って遊んだりする穏やかな場面がバイオレンスな映画の中に2点だけ挿入されている。
先ほど「デス・ロード」の話をしましたが、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」にも行って帰ってくる時の折り返し地点で、戦いの気配のない穏やかなシーンが挟まれます。
予算もたっぷりあるはずのアクション映画が、なぜアクションのない静かなシーンを入れるのか? それは2時間ぶっ続けでアクションシーンでは、さすがに観客の集中力が持たないからでしょう。アクションシーンの緊迫感を引き出すには、要所要所であえて緊迫感のない「だらけた」場面を挟み、観客の緊張をほぐす必要があるのです。
押井守は著書などでよく「ダレ場理論」という言葉を使いますが、それにも通ずるような印象的ダレ場が「ローガン」にはありました。
また2箇所ある「ダレ場」には、暴力と対をなすこの映画のもう一つのテーマ「家族」を強調する役割があります。暴力と愛の入り混じる「ローガン」にとって、家族の温かさを演出するダレ場は必要不可欠だったのです。
あとがき
この映画はアメリカ南部から北に向かって国境を渡り、カナダへと逃げる話です。そして先月公開された「ノー・エスケープ 自由への国境」は、メキシコからアメリカへ渡る密入国者が自警団に追われる話です。
いつからアメリカは「来るものを拒んで去る者を追う」国になってしまったのでしょうか。もはやアメリカにとって、自由の国なんて謳い文句は完全に形骸化してしまったのでしょうか。
映画は国を映します。アメリカの人種問題を下敷きにした物語X-MENが、ミュータントの絶滅しつつある未来を舞台にした意味は、もはや考えるまでもありません。
ネガティブな終わり方になってしまいましたが「ローガン」は名作なのでぜひ劇場までどうぞ。