近所の女子高生が毎晩添い寝してきて困っています(15才男性)「20センチュリー・ウーマン」【レビュー・解説】
うーん、「ネオン・デーモン」でエル・ファニングいいなと思いましたけど、またしても彼女に魅せられる映画を見つけてしまいました。
「近所の女子高生に毎晩添い寝される」映画、「20センチュリー・ウーマン」。いい映画です。
目次
あらすじ
その日フォードが燃えた。15歳のジェイミーと母ドロシアがスーパーで買い物をしている間に、居なくなった父が残したたった一つの形見は黒焦げになるまで燃え盛った。
1979年カリフォルニア州サンタバーバラ、母子家庭で古い邸宅に住むジェイミーとドロシアは変わり者の同居人たちと共に一つ屋根の下にぎやかな生活を送っていた。
ジェイミーらは家族のように団欒し、また時には恋人同士のように見つめ合いもした。癌に妊娠、喧嘩に恋愛とさまざまな問題とぶつかりつつ5人は20世紀を生きている……。
なぜ今20世紀を舞台に物語るのか?
「20センチュリー・ウーマン」の舞台となる時代はタイトル通り20世紀、正確には1979年です。監督はなぜ人間ドラマを撮影するにあたり、あえて79年を舞台に選んだのか? その答えは監督であるマイク・ミルズが持っていました。
マイク・ミルズは御年51歳、なので映画の舞台である1979年では13歳だった計算です。そして本作の主人公ジェイミーは1979年の時点で15歳。監督は主人公のジェイミーに自分を投影しているんですね。
マイク・ミルズは前作の「人生はビギナーズ」でもゲイだった父親をモデルに同性愛をカミングアウトする父親を描いています。監督へのインタビューを読めば、「20センチュリー・ウーマン」がマイク・ミルズの個人的体験を下敷きに生まれたことがよくわかります。
僕はとても強い女性に育てられた。この物語は、まさにその人物とリアルな場所から生まれたものだ。僕に父はいたが、子どもの頃は不在だった。僕は子ども時代のほとんどを母と2人の女きょうだいと過ごした。それ以来、僕は常に女性の方に引き付けられてきた。そして、僕の周りにいた女性たちを理解しようとすることが、サバイバルの1つの形態だということを早くから認識していたと思う。僕はいつも彼女たちを観察して、彼女たちから学ぼうとしていた。たとえ彼女たちが理解不能だったとしてもね。
この映画の登場人物はみんながみんなどこかおかしな面を持っていますが、中でも主人公ジェイミーの母ドロシアは強烈な個性を持つ強い女性です。何処が強烈かと言えば、このお母さん説教の仕方が独特なんですね。
ジェイミーとドロシアは広い中古の家に2人の同居人と住んでいるんですけど、同居人の赤髪のねーちゃんアビーはいつもパンクロックを大音量で流している。それであんまり音が大きいからドロシアのいる下の階まで音楽が聞こえてきて、彼女はアビーの部屋に行きます。こういう場合「音うるさいから小さくしなさい」とか言うのがよくあるパターンですけど、ドロシアは「何よこの下手くそな音楽」なんて言っちゃう。お母さん完全に論点ズレてますよ!
他にも近所に住んでる17才の少女ジュリーが煙草吸ってるのを発見した時に「体に悪いわよ」と注意しますが、ドロシア自身が煙草を吸っていることを指摘されたら「アタシが吸ってるのは他のに比べたら体に良いのよ!」と苦しい返事。
ただの優しい母親でなく、人間らしい葛藤や逡巡も見せるところが強烈な印象を残す母親像を作り上げているのでしょう。ちなみにドロシア役を演じたアネット・ベニングは「アメリカン・ビューティー」の怖いお母さんを演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされています。「アメリカン~」は本作と似ている部分もあれば全く対照的な部分もある映画なので、未見の方にはぜひ一緒に鑑賞をおすすめします。
異性との危うい関係
「20センチュリー・ウーマン」について調べると多くの記事やコメントがアネット・ベニング扮する母親役をベタ褒めしていますが、この映画は何も親子関係だけの話ではなく、むしろ語り口としては群像劇と呼ぶべき作品になっています。
群像劇的に描かれたこの映画が一貫して語ろうとするのは「異性とのコミニケーションの難しさ」です。母子関係には性別など関係ないように思えるかもしれませんが、映画後半ではジェイミーはある出来事をきっかけにドロシアと異性としてコミニケーションするようになります(性愛や恋愛などの直接的な意味でなく)。
「異性とのコミニケーションの難しさ」を表すシーンで個人的に一番気に入っているのは、ジェイミーが17才の少女ジュリー(エル・ファニング)と添い寝するシーンなんですが、これがもうニヤニヤせずには観られないシーンなんですね。
15才でヤリたい盛りのジェイミーからすればカワイイねーちゃんがいきなり隣で横になりだすんだからもう我慢なりません。だけどジュリーの方はジェイミーと性的関係になるつもりは毛頭なくて、弟のような親友のような関係でいたいと思っている。男からすれば「そんなムチャな話あるかよ!」って話なんですが、「20センチュリー・ウーマン」にはこんな男女間の危うい関係についてのエピソードが満載です。
あとがき
この映画は優れた人間ドラマであると同時に、優れたパンクロック映画でもあります。予告で流れるトーキング・ヘッズの「The Big Country」を聞くだけでもそれは明かなことでしょう。ただパンク映画といっても、いわゆるパンクの持つ刺々しさというか荒々しさのような激しさをこの映画はそこまで持ち合わせていません。むしろゆったりしたメロディでありながらもエッジの効いた、それこそ「The Big Country」のような映画、それが「20センチュリー・ウーマン」です。
監督のマイク・ミルズの思春期がどこまで本作と被っているかは我々のあずかり知らぬところですが、いつの日かの悩める少年は立派に21世紀を生きる名監督になったようです。