“ほぼ”デイリーシネマ

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あなたが映画「美しい星」を観なければ5年以内に人類は絶滅します

この記事で紹介するのは今日私が劇場に足を運んだ時、上映五分前になってもまだチケット残り枚数の表示が「◎」だった映画。日曜の昼間だというのに席がおよそ五分の一も埋まってなかった映画。

宇宙からばかうけがやってくる大作や、鋼鉄の爪を生やすおじさんが闘う大作が話題になる一方で、ひっそり公開日を迎えた一本の邦画SF。

 

そのタイトルは「美しい星」

美しい星 (新潮文庫)

目次

 あらすじ

予報が当たらないことで有名な天気予報士、大杉重一郎の人生はある日遭遇した光る円盤によって一変してしまった。

重一郎は自らが火星人であると信じて疑わなくなった。彼の使命は地球を温暖化による破滅から救うこと。いつものようにテレビカメラの前に立ち、気象予報図を背にして彼は人類に警鐘を鳴らす。

そして時を同じくして大杉家の他の者たちも次々に宇宙人へと「覚醒」してゆく……

解説-「リリー・フランキー、人間やめるってよ」

桐島、部活やめるってよ」で一世を風靡した吉田大八監督の最新作は、かの大文豪三島由紀夫によるSF小説『美しい星』の実写化。まず私は三島が60年代にSFを書いていた事実に腰を抜かしました。「スターウォーズ」も「未知との遭遇」も無い時代にSFに目をつける三島の先見性たるや、さすが。

原作は冷戦による核の恐怖を描き出したと言われていますが、舞台を現代に脚色した本作は核の恐怖ではなく地球温暖化人口爆発などの環境問題に変更しています。某北の国がミサイル撃つ撃たないで盛り上がっている今なら原作通り核の恐怖を題材にしても問題なかったとは思いますが、まあ制作時期の都合上仕方ありません。

映画の内容を一言で表すなら、なんといいましょうか。「リリー・フランキー、人間やめるってよ」とでもいえばいいかもしれません。

UFOを見て以来おかしくなる主人公一家の様子を群像劇仕立てで描いた本作は一流のSFでありドラマでありまたコメディでもあります(私はガラガラの映画館で一人ずっとニヤニヤしてました)。

リリー・フランキー演じる天気予報士は地球温暖化による人類滅亡を叫ぶ火星人に、長男(亀梨くん)はなにやら裏で日本の政治に関わる水星人に、そして長女(橋本愛)は地球の美的感覚は歪んでいると主張する金星人に「覚醒」します(あと中嶋朋子扮する母親は「覚醒」せずに、何故か怪しい水を売るマルチ商法に引っかかってるのが最高)。「覚醒」ってなんじゃそらとお思いでしょうが、本作はその「なんじゃそら」を楽しむ映画なので、いま「なんじゃそら」と考えた方は潜在的にこの映画のファンになる才能があります。

「コクソン」との類似

「美しい星」の主題は「虚構と現実の境界を揺さぶること」にあるといっていいでしょう。

はたして大杉一家は本当に宇宙人に覚醒したのか? それともただ一家全員が集団妄想に取りつかれているだけなのか? 観客は常に大杉一家の宇宙人化が虚構なのか、現実なのかを問われ続けます。

その点では「美しい星」は、今年春に日本でも公開されたナ・ホンジン監督によるホラー・サスペンス「コクソン」と非常に似通った作品であるといえます。

「コクソン」は前半こそ人間対謎の恐ろしい男というホラー映画にありがちなシンプルな構造で語られますが、映画が進むにつれて「果たして謎の男は悪い奴なのか?」という根本的な問題が浮かび上がるようになっています。

敵だと思っていた存在が実は味方であった可能性が浮上し、味方だったはずの存在が敵である可能性が出てくる。かと思いきややっぱり元々敵だった奴は味方でもなんでもなく、敵だった? 「コクソン」は主人公と観客を堂々巡りの混乱の中に突き落とすような映画でした。そして「美しい星」もまた観客を堂々巡りの混乱へと誘う映画です。

橋本愛が“自称金星人”のミュージシャンと共に神妙な面持ちで金星からのUFOを呼ぶ儀式を始めるが、何も起こらない。しかし彼女は気にせず奇妙な儀式を続ける。するとBGMは徐々に激しさを増し、やがて遠くの空にUFOのように見えなくもない光が現れる。そしてそのシーンの後、彼女は「処女のまま懐妊した」ことを母に告げます。しかし観客である我々は本当に彼女の処女懐胎を言葉通り信じていいのでしょうか? ただ頭のおかしな三流ミュージシャンとセックスしただけなのではないか? 

この映画の語り手は「信頼できない語り手」です。「美しい星」の語り手は、編集・音楽・演出などありとあらゆる映画的技法を駆使して観客を渾沌に陥れます。

あとがき-ウソ・ホント二元論からの脱出

情報社会を生きる私たちは何らかの情報を前にした時、意識的にしろ無意識的にしろその情報が「真実」であるか「嘘」であるかを判断する癖がついています。

「水素水は体にいいって書いてあるけどウソじゃないの?」

「交霊術で書かれた本らしいけどホントなの?」

私たちは情報を「ウソ」と「ホント」に二分したうえで、「ホント」の情報だけをまともに扱います。情報化社会では「ウソ」の情報には価値はないと見なされます。「ウソ」の情報に価値がないのは当たり前のように思えますが、しかし何を根拠に「ウソ」の情報に価値がないと言い切れるのでしょうか。

宗教がウソだとは言いませんが、それに科学的根拠がないのは事実です。しかし宗教は間違いなく人類が発展するうえで重要な役割を担ってきましたし、今日でも宗教には社会での役割があります。

この映画の主人公大杉重一郎たちは「ウソ」や「ホント」といった二元論的な情報の扱い方を卒業します。彼らは自らが宇宙人であることを「ウソ」や「ホント」といった価値観で捉えることをやめようとします。従来の認識を改めることにより大杉一家は地球人から宇宙人へと「覚醒」を遂げたのです。

ポスト・トゥルースの時代と言われる現代に、「コクソン」や「美しい星」のような真偽とは何かを問う映画が続いて現れたのはある意味必然なのかもしれません。


美しい星 - 映画予告編

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