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【ネタバレ有り解説】「メッセージ」を分析したら監督の手腕を思い知った件

ジェームズ・キャメロンは「「ターミネーター2」のラストで「未来は変えられる」と語ってみせた。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」然り、「マイノリティ・リポート」然り、未来を知った者は皆運命に抗おうとする。

しかし未来は本当に変更可能なのだろうかか。人間は運命に抗えるのだろうか。映画「メッセージ」は自由意志について、そのような問いを発する作品だ。

※この記事には「メッセージ」のネタバレが含まれています。未見の方はネタバレなしのこちらの記事をご覧ください。

moyuru6673.hatenablog.com

 

目次

あなたの人生の物語

 言語が人間を変える

「メッセージ」及び原作の『あなたたの人生の物語』において、物語の核心を形作っているアイデアサピア=ウォーフの仮説を基にしている。

サピア=ウォーフの仮説が言わんとするところはつまり、「言語は人間の思考や認識を規定する」ということだ。

人間の言語は線形であり、それは人の言葉には始まりと終わりがあることを意味する。人間の文章は始まりから終わりに向かって読み進めなければ意味を為さない(もちろん回文はその限りではない。だからルイーズは娘にHannahと名付けた)。

ところがヘプタポッドの言語は非線形である。彼らの書き言葉には始まりも無ければ終わりも無い。劇中でヘプタポッドの文字が円形をとっているのはその象徴だ。

人間は使う言語に始終があるために、始終という概念に基づいた認識をする。人間にとって物事は過去→現在→未来の順番でしか起こり得ず、未来の事象については知るよしもない。

しかし非線形の言語体系を持つヘプタポッドにとって、過去現在未来は同時に知覚されるものになる。だからルイーズはヘプタポッドの文字を学ぶ過程で未来を視ることができるようになるのだ。

ちなみに「言語が人間の思考や認識を規定する」といったアイデアを用いたSFはなにも「メッセージ」だけではない。管理社会ディストピア小説のパイオニア1984年』では、政府がニュースピークと呼ばれる意図的に語彙と文法を減らした言語を流通させ、人民を愚衆化させることで支配を容易にしている。また伊藤計劃の『虐殺器官では、言語学者がある規則通りに言葉が使われると人間が狂暴化し殺し合うようになるという虐殺の文法を発見する。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

原作との相違点

本作はテッド・チャンによる短編SF小説『あなたの人生の物語』を原作に作られた映画だが、原作に目を通すと映画化にあたって大胆な脚色がされているのがわかる。

そして様々な脚色の中でも一際監督の手腕を感じるのは「ルイーズと娘の思い出」の挿入の仕方だ。

原作はルイーズが娘と生きてきた思い出を回想する(未来の思い出も含めて)パートと、12隻の宇宙船が突如現れてから消えるまでの話をするパートの二つに分かれており、二つのパートは交互に語られていく。初見では思い出のパートは娘が14才の時のものだったり、幼児の頃のものだったり時系列が入り乱れているのが不可解で仕方ない。

しかし映画では基本的な語り方こそ踏襲してはいるものの、観客に「ルイーズは過去に娘を亡くしたんだな」と勘違いさせるためのミスリードが仕組まれている。過去→現在→未来といった線形の認識をする我々は、当然映画も基本的に過去から未来に向かって進んでいくものだと思い込んでいる。だから我々は冒頭で挿入される未来のシーンをルイーズの過去として誤認していまうのである。

原作になかったミスリードという演出は「メッセージ」において明らかに効果的に働いており、作品をよりソリッドにしている。一度映画を観てヘプタポッド的な認識を手に入れればいとも簡単にミスリードを見抜けるのも皮肉が効いていて実に小気味良い。

自由意志についての物語

『あなたの人生の物語』も「メッセージ」も、突き詰めれば語ろうとしているのは自由意志についての話だ。自由意志について書かれた文章を少し原作から引用してみよう。

同様に、未来を知ることは自由意志を持つことと両立しない。選択の自由を行使することをわたしに可能とするものは、未来を知ることをわたしに不可能とするものでもある。逆に、未来を知っているいま、その未来に反する行動は、自分の知っていることを他者に語ることも含めて、わたしはけっしてしないだろう。未来を知るものは、そのことを語らない。『三世の書』を読んだ者は、そのことを決して認めない。

              ハヤカワ書房『あなたの人生の物語』p262~263

 かいつまんで要旨を言えば、未来を知ってしまうことは(その未来が変えようのない絶対のものである限り)自由意志の喪失に繋がるということだ。

かの有名なオイディプス王の物語が良い例だ。「父を殺し母と姦淫する」と予言されたオイディプスは予言を回避するため放浪の旅に出るが、オイディプスの育ての親は実は彼の生みの親ではない。それを知らぬオイディプスは旅の過程で知らず知らずのうちに実父を殺し、挙句実母との間に子をもうけてしまう。絶対の予言は回避不能であり、絶対の予言を知ったものに自由意志など存在しないのである。

多くの人間は自由意志があるものだと考えている、それは人間にとって未来が閉ざされた未知であるからにすぎない。一度未来を知ってしまえば自由意志は無くなるという考えが『あなたの人生の物語』及び「メッセ―ジ」の根底には流れている。

 

とはいえ「ルイーズは自らの意志で戦争を回避したのではないか」と考える方もいるだろう。実際映画では巧妙な演出によってルイーズがあたかも自らの意志で未来を選んだかのように見える。だが細部に注目すればルイーズは何ら自由意志で動いていないことが明らかになる。

クライマックスで、ルイーズはシャン将軍に電話をかけ全面戦争の危機を回避するが、この時ルイーズは未来を変えていない。なぜならクライマックスでルイーズが見る未来は人類とヘプタポッドが和平を結んだ未来だからだ。ルイーズが将軍に電話をかける前から戦争の回避は予定されていたのだ。すなわちあのシーンでルイーズは、未来の筋書き通りに動いたにすぎない。ルイーズに選択の余地などなかったのだ。

同じようにルイーズは未来に控えているドネリーとの離婚や、ハンナの死も避けられない。未来は一度知ってしまえば受け入れることしかできない。

その点において「メッセージ」は、「ターミネーター」や「マイノリティ・リポート」のような未来は変えられると定義するタイプのSFとは本質的に異なっている。

自由意志の不在を私たちはつい悲観的に捉えてしまいがちだが、それは人間の価値観で考えているからにすぎない。非線形の認識を持つものにとって未来とは“そういうものだ”

 

あとがき

結局のところ原作も映画も、ルイーズは最終的にヘプタポッドの認識を得て、自由意志を失う。だが映画では監督の功名な演出により、あたかもルイーズが自らの手で未来を切り開いたかのような印象を受けるようになっている。

大衆向けのメディアである映画で「自由意志の喪失」なんてニヒリズムじみたテーマを真正面から描いてもまず理解されないはずだ。だからこそ監督は映画的な技術を総動員して『あなたの人生の物語』から「メッセージ(arrival)」を生み出したのではないだろうか。

 

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