Walking Pictures

「映画をもっと面白く」をスローガンに古今東西の映画について語ります

【感想・レビュー】日本よ、マーベルよ、DCよ、これが「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」だ。

マーベルにDC、それからたまにタツノコ。ほとんど毎月のように公開される実写化ヒーロー映画にいい加減うんざりし始めているのはぼくだけではないだろう。

絢爛なコンピューターグラフィックで装飾された画面は興奮するけれども、そればっかりじゃあなんだか見てて辛くなってくる。

そんな気分のぼくらの元に、イタリアから新しいヒーローがやってきた。今度のヒーローは空を飛ばない、蜘蛛の糸も出さない、爪も生やさない、あと宇宙でアライグマと一緒に戦ったりもしない。

イタリアの鋼鉄ジーグはただただ無骨な肉体性だけを備えたヒーローなのだ。

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

目次

 「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」ってなんなんだ?

いよいよ、本日5/20より公開の「鋼鉄ジーグ」。公開館が少ないのでわざわざ隣県まで出向いて見てきましたよ。と、内容について書く前にそもそもこの映画の基本情報について多少なりとも説明するべきでしょう。

本作「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」はイタリアの監督ガブリエーレ・マイネッティが制作したヒーロー映画(いや、本作をはっきりヒーロー映画と括ってしまうのには相当抵抗があるのですが、便宜上こう書いておきます)。

鋼鉄ジーグってのは皆さんご存知(ご存じなのか?)永井豪原作のロボットアニメで、本作はその鋼鉄ジーグにオマージュを捧げて作られた映画なのです。オマージュを捧げただけで実写化ではないため、別に劇中にロボットが出てきたりはしません。

じゃあどうして鋼鉄ジーグが題材にされたかというと、どうもイタリアを含めヨーロッパでは鋼鉄ジーグを始めとする日本のスーパーロボットアニメがテレビ放送されていて、それがやたらと人気があるみたい。

でもいくら鋼鉄ジーグが人気だからってこんな大胆な作品に仕上げてしまう監督の勇気たるや、まさにヒーロー。

あらすじ

舞台はローマ、歴史あるこの街は今テロの恐怖に怯えていた。コソ泥を重ねて日銭を稼ぐチンピラ、エンツォはある日ちょっとした事故によって超人的な力を手に入れてしまう。鉄をも素手で捻じ曲げる力を持った彼は、孤独な女性アレッシアを救い彼女から気に入られることになる。しかしエンツォの怪力はやがて人々の目に触れ、彼を目の敵にするマフィアたちがローマの片隅で動き始めるのだった……。

キャラの魅力は過去のどのヒーロー映画をも凌ぐ

鋼鉄ジーグなんて昔のアニメ使った映画のどこがおもろいねん」と道行く人に聞かれたら、それはもう「キャラがええんじゃ!」というほかありません。

アニメ「鋼鉄ジーグ」に依存しまくりでDVDプレイヤーを持ってないと不安でおかしくなってしまうヒロイン、アレッシア。アニメにありがちな白痴ヒロインをうま~く実写作品に落とし込んでます。あと乳がでかい。

潔癖症で三白眼で情け容赦なくて、あと歌が大好きなマフィアの中ボス(大ボスは別にいるが本作のヴィランはコイツ、小物オブ小物といった感じ)、ジンガロ本作の少なくとも三分の一はコイツで出来ていると言ってもいいぐらいの“好悪役”ぶりを見せてくれますなんかコイツの小物感、リュック・ベッソン作品に悪役で出てるゲイリー・オールドマンと同じ匂いがします。

そしてそして、本作の主人公にしてドーテー臭をぷんぷんさせるボンクラ超人、エンツォ。アレッシアが家に忘れていったDVDから自分も鋼鉄ジーグにハマっちゃって、速攻DVDボックスとホームシアター買ってきちゃうボンクラっぷり、涙でます。

もうこの3人が喋ってるだけで楽しい、動いてるだけで楽しいのがこの映画の魅力。キャラそのものがエンターテイメントである形式って、アニメじゃん! この映画は映画でありながら極めてアニメ的な演出で成り立っているんですね。

 

オタクのオタクによるオタクのための映画

この映画は偏愛がそのまま具現化してできたような映画です。本作における偏愛とはすなわち監督の偏愛であり、同時に登場人物らの偏愛でもあります。

この映画のキャラはみんな何かを偏愛してるんですよね。主人公はヨーグルトとエロビデオ、ヒロインは「鋼鉄ジーグ」、悪役は潔癖症(つまり清潔への偏愛)。

偏愛とはつまるところオタク的な愛し方そのもので、だからこの映画に出てくるキャラは言ってしまえばみんなオタクなんです

特に主人公なんかは初めこそその辺のチンピラにしか見えないけど、後から実情はドーテーの(ヒロインにずっとムラムラしてる)ボンクラオタクだとわかってくるんです。もう主人公のメンタリティはシンジくんと同レベルです。

童貞オタクの主人公がヒーローになる映画といえば当然キック・アスが思い浮かびますが、本作は「キック・アス」が描かなかった童貞オタクについてのある問題を逃げることなく描いています。

異性とのコミュニケーション経験が圧倒的に足りないからこそ起きる性欲の問題、女を知らないが故に女をあまりにも強く求めすぎてしまうという問題を、この映画は観客(だいたいボンクラオタク)に突きつけてくるんです。女慣れしてないエンツォと心に傷を負ったアレッシアの触れ合いは、そこらのヒーローオリジンものの恋愛パートとはワケが違います。

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」は非オタクの人が見たら面白くないのかもしれない。だってこれはオタクによるオタクのためのオタクの映画なんだから。オタクの埒外の人にとっては本作はただのアクションがちゃっちいつまらない映画なのかもしれない。

でもぼくは、貴重な休日にわざわざミニシアターまで映画を観に来るようなぼくらはこの映画を観たらもう打ち震えることしかできません。

 

あとがき-日本がこの映画を作れなかったということ-

たぶん本作を見た邦画業界の関係者はハンカチを噛んで悔しがっているでしょう。

本作はマーベル映画のような大予算CGアクションではありません。正直この映画のアクションはアクション自体としては相当チャチですし、特殊効果もハリウッドの物に比べればほとんどギャグにしか見えません。

予算的にも技術的にもこの映画は日本国内でも作ることができたはずです。しかしそれが為しえなかったのは、ひとえに日本映画の根本的な企画力の弱さのためでしょう。

いっそのこと、丸パクリと言われてもいいから日本でもこんな映画やりましょうよ。まああまり邦画に文句を言っても仕方がなのでもう終わります。

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」、監督にありがとう、役者たちにありがとう、永井豪にありがとう、そして邦画には「ガンバレ!」と言いたくなる傑作でした。

 


日本のロボットアニメにオマージュ!『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』予告編