「美女と野獣」の男女学~なぜ今この作品が実写化されるのか?~
ジャニーズや菅田将暉が割れんばかりの歓声を浴び、女性たちは口を揃えて「彼氏が欲しい」とむせび泣く。
男日照りの女性がいる一方で、非モテ男は増加の一途を辿る。どうやら生物学的に男でも顔が良くないと「男」として見てもらえないらしい。
僕らはカワイイ女の子が大好きで、カワイイ女の子はイケメンが大好きだ。
見た目が全ての世の中で、醜く生まれた人はどうすればいいのか?
その答えは「美女と野獣」に聞こう
目次
あらすじ
ある日失踪した父を探しに村を出た少女ベル、捜索の末彼女は森の中の寂れた城へと辿り着いた。ベルが城に足を踏み入れると、動く家具・喋る食器、そして醜い野獣が彼女の前に現れる。
野獣には呪いがかけられていた。魔法のバラが枯れる前に野獣が誰かと愛し合わなければ、彼の呪いは永遠に解けることは無くなる。
そしてベルの父は野獣によってこの城に捕えられていた。ベルは自らが身代わりになることを提案すると、野獣もそれを受け入れた。
こうして2人の同居生活が幕を開けるが、変わり者の美女とわがままな野獣の間に愛は芽生えるのか……
「美女と野獣」(91)が提示した女性像
美人だけどおかしな子、ベル
冒頭のミュージカルシーンで主人公のベルは、「ベルは美人だけど、どこかおかしい子」と村人から謡われます(冷静に考えてひどい)。
ベルのどこが「おかしい」のかと言えば、それは彼女が本が大好きな知的好奇心溢れる女性だった、というのが最大の理由でしょう。ここには前時代的な「勉強は男がするもので、女は家事でもしてろ」という思想が見てとれます(もちろん空想が大好きで「不思議ちゃん」的な部分があったのも理由のひとつです)。
ディズニーがそれまで築き上げてきたステレオタイプな女性像へのカウンター、それが「美女と野獣」のベルなのです。
野獣とのコミニケーションでもベルは、初めこそ受け身に回り野獣を恐れますが、次第に打ち解け始めるとベルは物怖じしないようになり、時には野獣を叱りもします。この行為は明確な家父長制への反抗であり、ベルが「おかしな子」と言われる一因でもあります。
オラオラ系男、ガストン
「美女と野獣」の悪役は、ベルに惚れ彼女にアプローチをかけ続けている猟師ガストン。
ガストンは筋骨隆々で、顔も良く、仕事もできる男。だから彼は村でモテモテですし、同性からも尊敬の眼差しを集めています。ガストンは外見だけなら理想の男性なんですね。
しかしガストンは典型的な亭主関白男で、ベルに対しても「女は読書なんかせず家事だけしてろ」と言い放ちます。ベルはガストンを拒んでいるにも関わらず、強引に結婚しようとするガストンはまさに現代のオラオラ系男と言ったところでしょう。
人は見た目なのか問題
金持ちDVヒキニート、野獣
人を見た目で判断したせいで醜い獣の姿に変えられた王子さま、野獣。
野獣は恐ろしい自らの姿に強いコンプレックスを抱いており、城から一歩も出ずに暮らしています。彼の世話をするのは家具や食器に変えられた家来たち。家来たちはすぐ怒鳴る短気な野獣に怯えながら主人の世話を続けています。
つまり野獣は裕福な家庭に生まれたブサイクなニートなんです。世話をしてくれる家族を怒鳴りつけちゃうひどい奴。
そんな野獣の城に、たまたまベルという心優しい美少女がやってくる。「美女と野獣」って大筋は「NHKにようこそ」と同じ話なんです。ダメな男の前にいきなりカワイイ女の子が現れて、その子のおかげでダメ男が成長するっていう話なんですね。
野獣は魔法のバラが枯れるまでに、誰かと愛し合わなければ呪いが一生解けなくなってしまう。
なんだかこれって「30歳まで童貞だと魔法使いになる」神話みたいだと私は思いました。そこまではいかなくとも、ヤラハタへの焦りみたいな。
話が逸れましたね。
ラストシーンについて
呪いで〇〇になっちゃった系ファンタジーのご多分に漏れず、「美女と野獣」(91)も最後には野獣の呪いは解け、イケメンの王子さまが姿を現します。
でもそれどうなんだって話ですよね。
この映画のテーマは「人を見かけで判断するべきでない」なのに、結局イケメンの王子と結婚しちゃうんです。
まあ、子供向けのアニメだから仕方ないといえば仕方ないんです。しかし、だからこそ今回の実写版「美女と野獣」への期待が高まります。
実写版「美女と野獣」に期待すること
人は見た目なのか問題を描き切る
前の章からの続きですが、アニメ版「美女と野獣」はテーマ設定こそ時代の要求に答えた素晴らしいものでしたが、物語の展開や終わり方がテーマに準拠したものだったかといえば微妙なところです。
そこで、実写化しターゲット層の年齢が上がったからこそ、この「人は見た目なのか問題」をきちんと書いて欲しいのです。
でもダン・スティーヴンス超イケメンだしなぁ……
女性の自立をどう描くか
アニメの時点で女性の自立についてはしっかりと描かれていましたが、白人男が再び力を得た今「美女と野獣」は語りなおされるべきでしょう。
ガストンがどのような男なのか、ベルと野獣のコミニケーションに注目です。
ミュージカルシーンはどう演出するか
ベルが食堂で喋る食器たちの歓迎を受ける場面は、「美女と野獣」の白眉といっていいほどカラフルでダイナミックなミュージカルシーンです。無機物を生物のように描き、動かすのは「ファンタジア」から続くディズニーアニメの常とう手段でした。
しかしあまりにもアニメーションがダイナミックすぎるあまり、「美女と野獣」のミュージカルは実写で再現するのが相当難しそうに思えます。
「ラ・ラ・ランド」のおかげで高くなってしまったミュージカルへのハードルを、はたして越えられるでしょうか?
まとめ
予告を見たところガストンが踊るシーンがなかなかにクールで個人的に期待度高めの実写版「美女と野獣」。
「人は見た目なのか」「女性はどうあるべきか」という本作のテーマは普遍的なものであるのと同時に、非常に現代的なものでもあるのです。
あー僕の家にもいきなりカワイイ女の子来ないかな。
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