「イップ・マン 葉問」から学ぶ平和主義のあり方
チャン・イーモウの「グレートウォール」を見に行こうとしたら、どこの劇場も3Dしか上映しておらず、3Dが苦手な私はどうすることもできず、ひとり自宅で「燃えよドラゴン」を観る休日を過ごしておりました。
そんな訳で今日は「グレートウォール」評をお届けする予定でしたが、急遽「イップ・マン 葉問」の記事に変更させていただきます! まあ来週末は「イップ・マン 継承」も控えてますし、中国繋がりということで。
目次
あらすじ
日本軍に抵抗し佛山を追われたイップ・マン。
知人のつてを頼り香港へ渡った彼は、日銭を稼ぐため武館を開く。
しかし、彼の弟子が他流派の人間といざこざを起こし、それがきっかけとなりイップ・マンは香港一帯の武館を仕切るホン師匠と対立することになる。
ホンはイップ・マンに自らが元締めの武館連盟に入会することを勧める。
しかし入会のためには、各流派の師範と戦わなければならなかった……。
戦う平和主義者
映画の中のもどかしさ
つまるところ映画の面白さは、「もどかしさ」と「もどかしさの解消」の連続で構成されているといってもいいでしょう。
サスペンスなどはまさしくこのもどかしさの円環を有効に使い倒すジャンルのひとつで、ナイフを持った殺人犯が裸の女に背後から忍び寄る姿を映して、「殺されちゃうの? それとも生き延びるの?」と観客に思わせるのがサスペンスの「もどかしさ」活用なわけです。
そして「イップ・マン」シリーズにおいてもどかしさは、主人公イップ・マンが天下無双の武術家でありながら、その力をあまり奮いたがらないことで演出されます。
暴力を行使すれば状況が容易く収まる状況でも彼は無闇に戦うのを良しとしません。そこに観客はもどかしさを感じます。そしてだからこそ、彼が詠春拳を披露したとき観客は例えようもないカタルシスを味わえるのです。
争わぬために闘う
劇中でイップ・マンが口にする「心を無にし、争わぬために闘う」という言葉は、まさしく葉問の思想ひいては詠春拳の精神を端的に表したセリフです。
葉問は穏やかで平和的な人間ですが、専守防衛ではありません。彼は無駄な争いを好みませんが、同時に必要とあらば自分からリングに上がることもするのです。
闘うことで平和にコミットするという行為は、ほとんど矛盾に等しいため下手をすれば単なる暴力に終わる可能性を秘めた難解な行為ですが、そんな禅問答のような平和主義をイップ・マンは貫き通します。
専守防衛を標榜する国に住む私たちにとって本作は、中国の人間が観るのとは別の視点から観ることのできる作品といえるでしょう。
炎の友情
カンフーvsボクシング
本作は前半ではカンフー対カンフーの戦いが繰り広げられますが、映画後半に入ってから戦いの軸はカンフー対ボクシングに移ります。
考えてみれば「イップ・マン」シリーズにおいて流派や戦法のフォーマットは思想そのものです。前作のラストはカンフーと空手の対決だったわけですが、あの戦いは中国と日本の代理戦争のようなものでした。
本作後半でイップ・マンに立ちはだかるのはイギリス人のボクシングチャンピオン。カメラは中国武術とボクシングの戦い方の差を、それぞれの国民性のメタファーのように映し出します。
打撃の手数で勝負するカンフーに対して、重たいパンチで相手を一撃でノックダウンするボクシング。
本作が中国本土で爆発的なヒットを飛ばしたのは、カンフーを中国の象徴として巧みに描写したことで中国国民の共感を買ったからではないでしょうか。
炎の友情
それにしてもこの映画、後半のストーリーがほとんど「ロッキー4/炎の友情」と同じなんですよね。
主人公の友人にしてライバルが異国の敵に殴り殺される→仇討ちを誓う主人公は孤独にトレーニングに励む→異国の敵との戦い、という流れ、まんまじゃないですか?
なんなら前半は主人公がライバルと戦って仲良くなる話ですから「ロッキー2」といってもいいのかもしれません。
別に似ているからダメと言いたいわけではありません。本作のストーリーが「ロッキー4」と似てしまうのは両作のテーマを考えれば納得できることです。
それに本作はカンフーをボクシング映画の方法論で撮るという試みがされているわけですから、ストーリーもボクシング映画の代表的存在である「ロッキー」に似ても何ら問題ない、いやそれどころかより味わい深くなっていると言ってもいいでしょう。
まとめ
本作や前作でイップ・マンは、中国を背負って戦う象徴的なヒーローとして描かれています。それにはアメリカ人がアメコミヒーローにアメリカそのものの姿を重ねることと、類似を感じずにいられません。
しかし、だとすれば日本人にとってのシンボリックなヒーローは一体誰なんでしょうかねぇ。
なんにせよ来週末公開の「イップ・マン 継承」が楽しみです。
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