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劇場版SAOから考える「なぜSAOがここまで愛されたのか?」

ソードアートオンライン オーディナルスケール」を見てきました

※この記事には映画のネタバレが含まれています

SAO劇場版、見に行く予定は無かったのですが、知人に誘われたので鑑賞してきました。SAOシリーズは一応アニメは一通り見て原作も数冊読んだ程度で、正直そこまでの期待はしていませんでしたが、いざ見てみるとARの技術描写や設定の使い方が周到で、予想以上に良い映画体験となりました。

この記事では劇場版SAOを見て気づいた点についての考察、そして感想を語ります。

目次

ARを題材としたからこそのリアリティ

2016年はVR・ARという2つの技術が世界中をにぎわせました。SAOの原作発売時やアニメ放送時では、「近未来」の話に思えた技術はもはやほぼ現実のものとなり、眼前まで迫ってきています(もしくは既に手中にあると言ってもいい)。

フィクションの物語と現実世界の境界線が曖昧になり、僕たちは物語世界をよりリアルに身近に見ることができるようになりました。

たとえばARゲームのアイテムで相手をおびき寄せ襲うという映画内での展開は、ほとんど同じ内容の事件が現実で既に発生しています。

映画内で遊ばれるARゲーム「オーディナルスケール」は紛れもなくポケモンGOの延長戦上にあるゲームですし、だからこそ僕たちは今作に至極簡単に感情移入できるのです。

2017年公開の映画で、ARを脚本に取り入れたのは必然と言えますし、扱う時期としてもまさにベストタイミングです。今作は題材選択の時点で既に勝利していた映画なのです。

「ゲームの中で強くても、現実では役に立たない」問題

僕たちはゲーム内でどれだけレベルを上げて強くなっても、現実世界でお母さんにゲーム機のコンセントを引っこ抜かれたらそれで終わりです。

「ゲームの中で強くても、現実では役に立たない」という問題はゲーマーにとって非常に悩ましいことです。

そしてSAOはシリーズ全体を通して、ゲーマーが抱えるこの問題を取り上げ、物語の根幹部分に添えています。

SAO編を例に考えてみましょう。SAOプレイヤーたちがデータ上で強くなっても、彼らの生殺与奪はナーヴギアを支配する茅場が握っていますし、たとえSAO内で死ななくともプレイヤーはダイブ中現実の体を動かせないので介護されなければ自然に死んでしまいます。

もちろん劇場版でも「ゲームは現実で役に立たない」問題がとりあげられています。VRゲームでは一騎当千の実力を持っていたキリトですが、身体能力がものを言うARゲームでは上手く立ち回れず、パワードスーツを着用するエイジに遅れをとります。

SAOシリーズにおいて最も強力な敵とは、ゲーム内で登場するボスモンスターではなく、死・肉体・記憶に代表される現実そのものなのです。

「現実に勝てない」問題の解決は容易ではありません。SAO編では茅場がある種のフェアプレイ精神を持っていたからこそゲーム内で決着がつきましたが、茅場が単なる快楽殺人者ならばSAOプレイヤー達は誰一人として帰還は叶わなかったはずです。

劇場版ではキリトが現実世界でトレーニングを積み、エイジに勝利しました。しかしそれでは「ゲーム<現実」という図式を崩すどころかむしろこの図式がどうしようもなく正しいのだと証明しているようなものです。

実際そうなのかもしれません。現実の副産物であるゲームが現実を越える時は訪れないのかもしれません。

ですがSAOという物語、そして主人公であるキリトが、越えがたい現実という壁に対して逃げることなく相対しているのは確かです。それゆえにゲームをこよなく愛する僕たちは、SAOという物語に強く共感し、この物語をまたゲームと同じく愛するのではないでしょうか。

ゲーマーなら誰しもが少なからず抱えてる悩みをキリトが代理的に解消してくれるからこそ、僕たちはこの映画、ひいてはSAOシリーズにカタルシスを感じるのです。

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おっぱいの話

さて長く抽象的な話をしましたが、映画全体の感想に触れる前にどうしてもこれだけは言及しておかなければいけない話題があります。

そうです、おっぱいの話です。

この映画はおっぱいへの強いこだわりを持って作られています。

シャワーシーンでは「背中側から見える乳房」というなかなか珍しいアングルを使っていますし、キスする直前のシーンでキリトはアスナをベッドに押し倒すのですが、この時キリトはあからさまにアスナの胸に顔をうずめます(さもそれが当然であるかのように)。

出番が少なめの直葉も出てくるたびに胸を強調された描き方をされていたりと、この映画の隠れテーマは胸への熱い情熱なのではないかとさえ思えてきます。

テレビシリーズよりアスナの胸が大きくなっているような気がしたのは僕だけでしょうか?

全体の感想

ソードアートオンライン オーディナルスケール」、ところどころ細かい脚本の穴や説明不足な点は目立ちましたが、クライマックスでは脚本の整合性を犠牲にしただけの価値がある展開の熱さを見せてくれました。

総集編に非ず、また完全独立ストーリーにも非ず、という今作の脚本は劇場版アニメのひとつの理想形になり得ます。ファンから1800円を集金するだけのような総集編映画を作るような人たちはこの映画を1000回見るべきです。

最後に、SAOファンなら見るべしという本当にありふれたコメントしかできませんが、

SAOファンなら絶対に見るべし!