『ブルーバレンタイン』は本当にバッドエンド映画なのか?
※ネタバレあり
彼女と見たくない映画ベスト1
ライアン・ゴズリング特集その4、
今回取り上げるのは鬱映画として名高い『ブルーバレンタイン』。
過去と現在、2つの時間軸
今作は主人公であるジェーン(ライアン・ゴズリング)が、シンディ(ミシェル・ウィリアムズ)と出会い結婚するまでを描く過去パートと、数年後夫婦の関係が悪化し離婚に至る現在のパートの2つに分かれていて、視聴者は2つのパートを交互に見せられます(メインは現在の時間軸)。
それぞれのパートは単体ではベタなストーリーに過ぎません。しかし、夫婦喧嘩の途中でいきなり幸せだった過去の映像を挟んだりすることで、現在の不仲の虚しさ、悲しさを際立たせているんですね。
ライアン・ゴズリングの役作りが凄まじい
演じる役柄に合わせ、ダイエットなどで体重やルックスを大幅に変えて役になりきることを「デ・ニーロ・アプローチ」と言ったりしますが、今作でのライアン・ゴズリングはまさしくデ・ニーロ・アプローチをお手本です。
太って前髪も後退したライアンゴズリングは、本当にただのアメリカ人のオッサンにしか見えません。つぶらな瞳もダサいサングラスで隠しているので完璧です。指や服に仕事でついたペンキがつきっぱなしなのもダメダメ感を増長していますね。
恋愛映画に潜む欺瞞
この映画は、恋愛映画ひいては恋愛を題材にした多くの物語に潜むある種の欺瞞を暴いています。
その欺瞞とは「物語を幸せな瞬間を終わらせることで、視聴者にさも永遠の愛が存在するかのように錯覚させている」ことです。
映画の最後でカップルが結婚式で誓いのキスをして終わったら、それは普通ハッピーエンドと呼ばれます。しかし現実の結婚式というのはハッピーであってもエンドではないわけで、その後何十年にも渡る結婚生活があります。映画は都合よく幸せなシーンで終われるから羨ましいですよね。
そして『ブルーバレンタイン』はハッピーエンドの先にある不幸を描ききりました。だからこそ僕らはこの映画を見てリアリティがあると感じるのでしょう。
結婚に希望は残されているのか
現代社会を生きる僕らは、この映画を見ずとも結婚の幸せが長続きしないことはわかっています。残念ながら結婚は人生の墓場という言葉は的を得ているのかもしれません。
ですが、この映画には絶望しか詰まっていないのでしょうか? 『ブルーバレンタイン』が結婚のパンドラの箱だとしたら、最後には一抹の希望が出てくるかもしれません。
日本語版のポスターにはこのようなキャッチコピーがあります。
"永遠に変わらない愛なんて、ないの"
これは一見永遠の愛を否定しているように思えますが、そうであれば「永遠の愛なんて、ないの」と書くはずです。
この映画のどの部分が希望になるかは見た人の解釈次第です。僕にとっての希望はキャッチコピーの微妙な言葉遣いであり、一度投げ捨てたエンゲージリングを探すジェーンの姿でした。
ブルーになったハートを癒したい方には、同じくライアン・ゴズリング出演のラブコメ映画『ラブ・アゲイン』がオススメですよ。