無鉄砲すぎる漢たちの物語『L.A. ギャング ストーリー』感想
仁義なきギャングに立ち向かうのは、6人の漢
『ラ・ラ・ランド』に向けてライアン・ゴズリングの過去作をチェックしていくシリーズ第三弾、今回紹介する映画は『L.A. ギャング ストーリー』。
ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンがイチャついて、ロサンゼルスが舞台と意外にも『ラ・ラ・ランド』と共通点が多い映画ですね(内容は何光年もかけ離れてるけど)。
あらすじ
1949年、ロサンゼルスはギャングのミッキー・コーエンが支配していた。司法や警察機関とも裏で繋がっており手のつけられないコーエンを打倒するため、オマラ巡査部長は5人の仲間と共に立ち上がった。
ロサンゼルスを舞台にした『七人の侍』?
今作の最大の魅力と言ってもいいのが、コーエンを逮捕し組織を潰すため集まった6人のならず者たちです。無鉄砲なタフガイ、拳銃の達人、ナイフ使い、盗聴のプロ、色男(ライアン・ゴズリング)、ただのメキシコ人(マイケル・ペーニャ)とそれぞれ得意分野を持った6人が協力してギャングたちをとっちめていくのは爽快感たっぷり(マイケル・ペーニャは特に得意分野はないけどマスコットキャラだからいい)。
特殊技能を持った人たちが、自らの能力を駆使して悪い奴らを懲らしめる映画といえばあの名作『七人の侍』が思い浮かびますね。
でもこの映画は、『七人の侍』とは決定的に異なった点があります。
猪突猛進、正面突破、ご都合主義
『L.A. ギャング ストーリー』は脚本がご都合主義な所が否めません。顕著なのは銃撃戦のシーンで、とにかく味方の弾は当たるのに、ギャングが撃った弾は大して当たらない。人数では明らかに敵の方が多いし、銃撃の実力もそこまで差は無いと思うんですけどね。
そして弾が都合よく当たったり当たらなかったりする他にも、ギャングのアジトを襲撃する際の作戦がめちゃくちゃ大雑把。基本的に正面突破です。
『七人の侍』では数で勝る野武士に対抗するため、村ぐるみで作戦を練り、罠を仕掛けました。『300(スリーハンドレッド)』でも300人のスパルタ軍は狭い谷で戦い、数の不利をできるだけ軽減しましたよね。
たった6人でギャングと戦う主人公たちが、いくらヒットアンドアウェイの奇襲だからといって正面突破に近いごり押し作戦ばかりとるのは正直違和感があります。
なのですが、主人公たちの無計画な行動は制作側も自覚していると思います。
漢の映画
その理由は、主人公たちの行動の無計画さには映画内でも言及があるからです。
劇中でライアン・ゴズリング扮するジェリーがリーダーのオマハに「今回はラッキーだったけど、これじゃ俺たちすぐ死ぬぞ」というような言葉をかける場面がありますよね。
しかしオマハはジェリーの忠告を受けてなお、無鉄砲な作戦をやめようとしません。
それはこの映画が、正々堂々と戦う主人公たちの生きざまを描こうとしたからでしょう。確かにオマハたちは「ギャングのような警察」かもしれませんが、自分たちがギャング紛いの存在であるからこそ、卑怯な手段を避け警察として最後の一線で踏みとどまり、たとえ不合理であっても正面突破というけじめのつけ方を選んだのではないでしょうか。ネタバレになるので明言は避けますが、ラストの戦闘シーンもそれを裏付けています。
ライアン・ゴズリング特集ですけど、書いてみたらほとんど彼の話していませんね。正直、彼の演じるジェリーは出番こそ多いものの、そこまでストーリーの本筋に影響を与えません(エマ・ストーンも同じく)。
しかし彼の演技力は確かなものですし、『ラ・ラ・ランド』コンビが映画全体の華になっているのは間違いありませんでした。
『L.A. ギャング ストーリー』、なんと監督はあの『ゾンビ・ランド』や『ピザ・ボーイ 史上最凶のご注文』のルーベン・フライシャーだったりします。コメディチックな過去作とは一転してシリアスな作品を任されたルーベン監督、着実に実力を認められているという証拠でしょう。ちなみにスースク続編の監督候補としても名前が挙がっています。個人的にはメル・ギブソンよりもこの監督のスースクが観てみたいですね。
それでは明日もライアン・ゴズリングの出演する映画を取り上げたいと思います、さよなら!
同監督の『ピザ・ボーイ』のレビューはこちら。