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日本人だからこそ見たい『沈黙-サイレンス-』

遠藤周作の同名小説をマーティン・スコセッシが映画化した『沈黙-サイレンス』。行方不明の師匠を探し、キリスト教を根付かせるために禁教令下の日本に渡航した司祭の物語です。原作も読んだ上で鑑賞してきました。感想をざっくりまとめます!

 

 

朗らかなのに怖いという怪演、イノウエサマ

悪役が魅力的な作品は往々にして良作です。そして沈黙にはダース・シディアス顔負けの極悪おじいちゃんが登場します。その名も、井上筑後守(イノウエ=チクゴノカミ)。

長崎でキリシタン弾圧を取り仕切るこの奉行は、知謀の限りを尽くしキリシタンたちを棄教させていきます。井上が賢いのはただ殺すぞと脅して棄教させるのでは信者の反感を買うだけだと気づいた所です。彼がどのようにキリシタンたちを転ばせた(棄教させた)かは映画を見て確かめてください。

常時ニヤつきながら甲高い声で喋るイノウエサマ、口調自体は優しいのに悪者にしか見えないのは名演としか言いようがありません。

日本人英語を楽しめる映画

沈黙の主人公ロドリゴは日本語がほとんど話せません。なのでロドリゴと話すキャラは必然的に英語(もしくはポルトガル語)を話します。百姓や奉行所の下っ端まである程度は英語を理解しているんですね。でも百姓たちは普段は英語なんてほとんど使わないから正しい発音がわからない。paradise(天国)はパライソになるし、confession(懺悔)はコンヒサンと発音される。

面白いのは登場人物ごとに英語の習熟度が違うという点です。比較的英語の上手な役人たちの間でも、英語が得意な人と苦手な人が出てきます。「ほらこの言葉英語でなんて言うんじゃっけ」とか通辞に聞いたりするシーンがありますが、これは原作にはない要素でした。

実写化にあたって時代考証や美術だけでなく、言語についてもリアリティを追求するとはさすがスコセッシです。

言語が演出のひとつとして機能しているので、浅野忠信演じる通辞(通訳)の役割が原作より重要になっている気もします。

 

マーティン・スコセッシ監督作品『沈黙-サイレンス-』、全体としては堅実な作りになっているという印象を受けました。三時間近い尺で会話が続くシーンが連発するのでやや退屈な部分もありましたが、原作未読の方ならそこまで眠たくなるような内容ではないと思います(原作読んでいったらかなり原作まんまでびっくりしました)。

来週はようやくドクターストレンジ公開です、映画会社のマーケティングに負けたような気分になりますが3Dで見てみようかな。

 

PS キリストの顔が怖かったの僕だけじゃないですよね?

 

沈黙 (新潮文庫)

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