Walking Pictures

映画、書籍、ゲーム、その他もろもろサブカルチャーについて…

いまさら見たぞこの映画「L.A.コンフィデンシャル」

タイトル通り、本当に今更なのですが「L.A.コンフィデンシャル」を見ました。

まあ今見ると、ラッセル・クロウの痩せっぷりが一番のみどころですよ。本当に。

「ナイスガイズ!」鑑賞後にこちらを見たらもう涙が止まりません、時の流れとはここまで残酷なのかと。

ちなみにケビン・スペイシーは今も昔もほとんど変わらぬ姿をキープしています。見た目は冴えないオッサン、中身は狡猾という役者としてのキャラもブレませんね。

さて役者の話ばかりしてもしょうがないので本題に行きましょう。

もくじ

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ポスト・トゥルース時代のアカデミー賞と「ホワイト・ヘルメット」の感想

波乱の第89回アカデミー賞

89回アカデミー賞作品賞は、異例の「オスカー像渡し間違い」というハプニングの末、黒人少年の成長物語「ムーンライト」が受賞しました。作品賞は「ラ・ラ・ランド」濃厚かと思われている中での大逆転は、白人中心のオスカーに一石を投じる結果となりました。

作品賞以外にも有色人種の受賞が見られ、マイノリティーに対する意識はやはり強くなっているのかと思われます。長編アニメ賞の「ズートピア」も訴えようとしているテーマはまさしく多様性の肯定です。

普通の人生では体験できないことを、疑似的に体験できるのが映画の売り。

制作者が多様性に富めば、それだけ撮られる作品のバラエティーも広がるはず。アカデミーの意識改革は今後の映画業界全体に大きな影響をもたらすでしょう。

短編ドキュメンタリー賞受賞「ホワイト・ヘルメット」

さてここからは短編ドキュメンタリー賞を受賞した「ホワイト・ヘルメット」の感想を語ります。

タイトルにもなっているホワイト・ヘルメットとは、シリアで活動する市民救助隊を意味し、このドキュメンタリーはホワイト・ヘルメットの救助活動に密着し、彼らの救助活動を記録したものです。日本ではNetflixで視聴可能となっています。

ホワイト・ヘルメット(「」でくくっていないのは組織そのものを指しているからです)は中立を謳いながらも反体制側の支配地域でしか活動していない点や、救助活動の記録がやらせなのではないかという疑惑から批判を受けてもいます。

しかしながらそれは、このドキュメンタリーを見ない理由にはなりません。「やらせだから見ない」なんて言う人は、ただ悲痛な現実から目を背ける理由が欲しいだけでしょう。

もともとドキュメンタリーは、どれほど中立を意識してもある程度の思想や恣意性が入り込んでしまいます。それは映画制作は必ず、「撮影」と「編集」という極めて恣意的で意識的な作業を必要とするからです。

ドキュメンタリーを見る際は、たとえどんなドキュメンタリーであっても僕らはそこで語られていることを鵜呑みにしてはいけません。ドキュメンタリーとは現実を映した映像作品ですが、だからと言ってドキュメンタリーで語られていることが事実だとは限らないからです。

命がけで撮影された空爆現場

「ホワイト・ヘルメット」という40分間の映像の中で、シリア市民の恐怖を最も象徴しているのは爆撃の場面です。

遥か頭上を飛んでいる小さな機影、青空を真っすぐに飛ぶそれは地上から見れば虫のようにしか見えません。ですが市民たちは爆撃機をエンジン音だけで察知し、一斉に逃げまどいます。そして数秒後舞い上がる黒煙。

何の罪もない人の頭の上に、いきなり爆弾が落ちてくる理不尽さが、ごく短いカットに凝縮されています。

守ることの無力さ

鑑賞後、痛烈に感じるのはホワイトヘルメットとシリア市民の非力さ、そして無力さです。

非武装組織のホワイトヘルメットがどれだけ命がけの活動を続けても、シリア政府は痛くもかゆくもありありません。爆撃はいつまでも続けられるのでしょう。

また幸いにも人命は救助できたとしても、家を失った人々の暮らしは絶望的です。

守ること、治すことは「破壊」の何倍も難しい行為です。圧倒的な力の前にシリア市民はどうすることもできません。

そんな状況を見て僕が感じたのは怒りです。この怒りはシリア政府側の怒りであると同時に、平和な国の平和な家でソファに座ってくつろぎながら他人の地獄を見ている自分への怒りでもあるのでした。

劇場版SAOから考える「なぜSAOがここまで愛されたのか?」

ソードアートオンライン オーディナルスケール」を見てきました

※この記事には映画のネタバレが含まれています

SAO劇場版、見に行く予定は無かったのですが、知人に誘われたので鑑賞してきました。SAOシリーズは一応アニメは一通り見て原作も数冊読んだ程度で、正直そこまでの期待はしていませんでしたが、いざ見てみるとARの技術描写や設定の使い方が周到で、予想以上に良い映画体験となりました。

この記事では劇場版SAOを見て気づいた点についての考察、そして感想を語ります。

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映画評を書く人に読ませたい小説とか、最近読んだ本とかの話

みなさん、こんにちは。

今日はいつもと趣向を変えて、映画以外のコンテンツをいくつか紹介したいと思います。

『花ざかりの森・憂国三島由紀夫

かの大作家三島由紀夫の短編集です。

三島の作品が素晴らしいのは僕が言うまでもないのですが、この中の女方(おんながた)』という一篇が映画評を書く身として非常に惹かれました。

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「ラ・ラ・ランド」ラストシーンについての解釈を語る

夢を叶えるのに必要な代償とは?

アカデミー賞作品賞は、ほぼ間違いなしかと評判の「ラ・ラ・ランド」。

公開初日の朝から見てまいりました。ひとことで感想を述べるなら、大満足としか言えません。オープニングからエンドロールまでとにかくカラフルで、ロマンチックで、そして同時に現実的なテーマもあり、とにかく至れり尽くせりな2時間でした。

今作は国内での注目度も高く、作品の概要については雑誌や他サイトなどで相当語られているため、この記事では概要を書くのはほどほどにとどめておいてラストシーンに焦点をあてて書いています。なのでネタバレを避けたいかたはどうぞブラウザバックして映画を見に行ってください。

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「ラ・ラ・ランド」前に絶対見ておきたい「セッション(Whiplash)」

「次のチャーリー・パーカーは何があっても挫折しない」

アカデミー賞ノミネート史上最多タイの「ラ・ラ・ランド」がいよいよ明日から日本でも公開されます。

若手監督のデイミアン・チャゼルは(自主製作を除けば)「ラ・ラ・ランド」以前には一本しか映画を撮っていません。その映画こそ若き巨匠デイミアン・チャゼルの実力を世界に知らしめた名作「セッション」です。

この記事では、原題「Whiplash」の意味、主人公と鬼教官のキャラクターについて、そしてラストシーンの解釈について述べようと思います。

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映画に学ぶモテ術、その1「折れない心」

世に流通している映画のほとんどは恋愛を扱っています。おそらく古今東西の映画を「恋愛あり」と「なし」に分類したら「あり」の方が多いのではないでしょうか。

映画をたくさん見る、ということは「ラブストーリーをたくさん見る」こととほぼ同義と言ってもいいかもしれません。事実僕もこれまで数多のロマンスを映画を通じて目にしてきました、それはもう現実で自分が経験したロマンスの何百倍も多く。

数多くの恋愛映画を見続けていると、いくつかの共通点が見つかります。映画というのは現実世界の写し鏡ですから、恋愛映画に潜んだ共通点について研究すればリアルの恋愛について何か有意な情報やメソッドが得られるかもしれません。

というわけで、映画に学ぶモテ術と大げさに名づけたこの記事では、映画の中の恋愛を参考に恋愛の方法論、心構えを考えてみたいと思います。

第一回のテーマは折れない心です

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